受験国語を指導する中で、たまたま河合隼雄氏による【こころの処方箋】という本の一部を読んだ。
一部分しか目にしてないため全体像はまるでわからないのだが、そこに書いてあることはハッキリと共感させていただいた!
凄く簡単に言えば、【一見無駄だと思うことでも、寄り道だとしか思えないことでも、時間が経てば意味を持つことがある】という話であった。
これだけなら『そりゃそーだろ』という考え方なのだが、チョイと実生活にこの観点を持ってくると、その深さと的確さがよくわかる。
今日はそんなお話。
話がinterestingな人。
突然だが、『話が面白い人』ってどういう意味だと思われるだろうか。もちろん、ちびまる子ちゃんのはまじ的なのがそうという方も多いと思う。
個人的な話だが、僕は『興味深いエピソードや経験が数多く含まれていて、聞いてて飽きないトークができる人』という意味で用いている。
英語で言えば『interesting』な話という感じである。そしてこの要素を作るのに際し、案外輝かしい結果は関係ないことが多いのだ。
―このことが色濃く出ている好きなコピペを紹介する。(実話かどうかは知らないっす)
大学の新歓で一人が自己紹介で大人しそうな一年「一浪して入りました」と言ったら、
俺の隣のギャル男が「浪人ってマジでいるのかよ~、ひくわ~!」と叫んで場の空気が少し悪くなった。
すると、向かい側にいた他のギャル男が「おいおい、一浪でこんな空気になるんじゃ、二浪の俺はどうなるんだ!」と立ち上がった。
さらに真面目そうな眼鏡の一年が「かくいう私も二浪でね(メガネクイッ」と立ち上がり、みんな大爆笑。
続いて、明らかにオッサンなデブが「三浪の俺からすりゃ、お前らなんかまだまだよ!」と立ち上がり、会場は大盛り上がり。
みんなは「三浪キター!!」二浪の二人も「三浪は卑怯だぜ~」「そうですよ~。僕なんか二浪以外に個性ゼロなのに」と続いて三人の独断場だった。
隣のギャル男も最初は「浪人がなに勝手に盛り上がってんの?」などとブツブツ言ってたが、最後には何も喋らなくなっていた。
俺も浪人してたので、ちょっとスッキリした
まぁぶっちゃけ胸糞エピソードなのだが、『道草』の『おもしろさ』がハッキリわかる話には違いない。
―人生をエリート街道まっしぐらで駆け上がってきた人は、いうなれば一切の無駄がないということである。それはそれで、十二分に羨ましい生きざまだ。
しかし、僕はそういうヒトと、例え1時間であっても酒を飲みたくは無い。僕みたいに寄り道しまくったタイプとは、多分共通項がほぼ無いからだ。
自信をつけたくて読み漁った自己啓発書。リア充側に行ってみたくて学んだ脱オタク恋愛。心が折れた20代前半。一度脱落した『社会』というエリア。
その時々の狙いはことごとく外したのだが、実のところ、僕は『経験値』だけならいっちょ前に積んでいる。
だから同じように、『寄り道で得た経験』が多い人と、僕は酒を飲みたい。過去の道草を肯定し合いたい。そして、ガッハハと笑い合いたい。
当時は暴れれば暴れるほど現実という泥沼にずぶずぶと嵌っている感覚であったが、底なし沼を一回ポンと抜けると、ナウシカのあのシーンみたいな光景が広がっていた。
『この境地に行くための努力だと思えば、あの道草、無駄じゃなかったなぁ』と、今ならあの時期を肯定できるが・・。その状況の最中にそれは絶対に出来ないなと。
月並みだが、今色々と苦しくキツい状況下であるなら、『終わってしまえば全てネタ』くらいの考え方でいてほしいかなと。
底なし沼に沈んでいくと、腐海の底を抜けたナウシカ達みたいに、いずれ明鏡止水の境地に至ることができるかもしれないから。
意外と人は死なない。人生で一番きつい頃は、いっそ胃に穴が空いてくれと願ってやまなかったが、数ヶ月身体は健康だったくらいだしな。
なんか途中から、目指していたゴールとは違うベクトルを向いちゃったけど、まぁこれはこれということで。
終わってしまえば全てネタ。あるいは、発信しちゃえば全てネタ。
そんな提案を持って、今日はこの辺で結びマス。