思考力という言葉は、あそこまで有名で、しかも話題としてホットなのに、本当に掴みどころがないと感じている。
例えば「思考」と辞書で引いても、非常に抽象的な定義が書いてあるだけだ。
1 考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。「―を巡らす」「―力が鈍る」
2 哲学で、広義には、人間の知的精神作用の総称。狭義には、感覚や表象の内容を概念化し、判断し、推理する知性の働きをいう。
3 心理学で、感覚や表象の内容を概念化し、判断し、推理する心の働きや機能をいう。
そんな思考力という言葉だが、僕自身は一つ、「こういうことを言っているんじゃないかなぁ」という、どこかぼんやりした仮説を持っている。
思考力とはつまり、「問題に翻訳する力」ではないか、というものだ。今日はそれについて、思うことを書いてみる。
ゴールと現状の差を埋めるために、何が要るかを考える力。
思考力について考えると、頭に具体例として浮かぶのは、「将棋」である。しかし、なぜそれがパッと浮かぶのか、よく考えてみたことは無い。
ということで改めて理由に思いを馳せたところ、すぐ気が付いた。将棋が目指すゴールは単純明快で、相手に勝つこと、以上である。
しかし、そのゴールに辿り着くための方法は、まさに無限大に広がっている。一説によれば、宇宙の原子の数さえ凌ぐのでは、とのことだ。
それはもはや、考えなしには何の手も閃いていないのと同じだろう。だから思考することでその選択肢を絞り、目先の一手というところにまで落とし込んでいく。
―やはり、これこそまさに【思考力】の具体例だ。改めてそう思った。目指すべきゴールを見据え、現状を見つめ、その差を言語化していく。
こんな風に、何から手を付けていいかわからないカオスな状況を、具体的な問題”に”翻訳する力。それが思考力の言わんとするところではないか。
勝手に興奮して恐縮だが、自分の中で何かが更新されて、テンションが上がっている。
そしてこの考え方を身に着けると、悩みが減るというメリットもあると思う。自責や他責ではなく、「じゃあどうやって解こうか」という風に考えが進むからだ。
・・・抽象的なまま考えてもなかなか腑に落ちないので、おもくそ具体例でさらに考えてみよう。
何度か率直に書いたが、僕が引き継ぐ校舎は泥舟状態である。つまりテコ入れをしなければ確実に沈むし、テコ入れをしても、もう手遅れなのかもしれないのだ。
こういうときに、前任者や自分の無力を呪うことほど、時間を無駄にするものは無い。さっさとこの状況を問題に翻訳することが先決なのだ。
凄く乱暴に言えば、学習塾の売り上げは、無駄な人件費を抑えつつも、生徒数かコマ数を増やせば高まっていく。つまり、追いかけるべき数値は、極論2つだけだ。
しかし校舎の格・評判に寄与するとなれば、やはり人数だ。だからこの状況を脱することはつまり、「どうすれば生徒数を増やせるか」を考えることに等しい、となる。
すると、問いが進む。生徒数を増やすとは、実は2つの話にまとまる。それは、新規入塾を増やすこと、そして退塾を減らすことだ。
そして新規入塾と言っても、全く繋がりが無いところから呼ぶだけが広報ではなく、元塾生、兄弟生、友人紹介なども大切な戦略となっていく。
企業秘密なので今回は発表を控えておくが、実は新規問い合わせがあるタイミング、友人紹介が機能し易いタイミングは、かなり再現性をもってテンプレ化している。
逆にそのシーズンを逃すと、本当に全くと言っていいほど反応が無い。時期によって有効な戦略は、割とくっきり違うのだ。
ではその中でも、今の時期なら何が打てるか?あるいは、何のデータを今の時期に集めておくことが必要か?
・・こんな風に問いを進めれば、その内取るべき行動にまで下りてくる。延々と問題を作り、それを解いていくことは、やはり思考力の肝ではないかと思わされる。
ちなみに僕自身が現在辿り着いている暫定解は、とにかく基礎基本レベルのサービスを今以上に徹底し、同時にレベルを上げていくことの方が優先順位が高いというものだ。
だからとっとと、今までコツコツと考えてきた打開策を発動したい。ぶっちゃけ5分後に交代と言われても問題ないくらい、準備は重ねているつもりである。
まぁ最後のは愚痴だが、思考力はこんな風に使う能力じゃないかなと、僕は勝手に考えているというお話だった。(LEGOが思考力を養うとされるのも納得だ)
じゃ、今日はこの辺で。