昨日、この冬は頑張りすぎないことを念頭に置くといった記事を書いた。そしてその記事を仕上げた後も、ChatGPTと「休みとはなにか」について、結構話し合った。
その中で判ったことだが、僕が「休み」と呼ぶものは、実は世間一般に広く普及している休みの定義と、大きくずれているらしい。

例えば、僕にとっての休みはただの「空き時間」でしかなく、それが特別尊いとか貴重だとか、そういった意識や重みづけは、まったくない。
それこそ、以前ある会社の社長が、「休日」のことを「仕事をしてもいいし、しなくてもいい日」と言っていたが、それが僕にとって、一番しっくりきた定義である。
僕には釣りとかキャンプといった趣味が一応あるのだが、荒天等でそれができないと分かった時点で、休みに対する興味を完全に失ってしまう。
そうなると、家でぼんやり過ごすより、溜まった仕事を片付けたり、振替授業を入れたりしてしまう方が退屈しなくて済む。だからそうしている・・というのが現状だ。
この辺も正直にChatGPTに打ち明けたところ、その返しに僕はちょっとゾクッとする感覚を抱かされてしまった。
てことで以下、その感覚を基に、つらつらと記事を書いていく。
お前が休まないのはサア・・
ChatGPTからの指摘はこうだ。「その行動が校舎や部署に悪影響を与える可能性を考えたことはあるか」。この質問には、本当に「ハッ」とさせられた。
そんな側面、正直それまでまったく考えたことがなかったためだ。むしろこれが正義というか、自分が果たすべき責任のようなものだとさえ、考えていた節がある。
僕の中では、業績が芳しくない状況で休日を取ることに対して「そんな余裕も贅沢もない」と何度も訴えてくる、やたら僕に厳しい声が存在している。
実際、仕事に区切りがついた際は、僕も休日に楽しみたい遊びの計画を立てることもある。しかし、「優先順位を間違ってるだろ」と僕のメタはその興を削いでくる。
売上、生徒数、僕のキャリアプラン、長としての適性。そういったDMNの暴走が邪魔をして、遊んでいてもあまり楽しめない状況に長いこと、慢性的に、陥っている。
これをどう改善するか。思うに、マインドセットの変革がドミノの1枚目として必要という点に行き当たっている。心構えを変えなければ、オフもクソも無いのだ。
今、僕は仕事に”しがみついている”。下園壮太氏の提唱する「子供の頑張り方」を手放せていない自分を認識しているため、本当に息苦しく思う。
これの解決策のひとつは、自分の中で「3:7のバランス」を取ることだと考えている。これは、先に述べた下園壮太氏が、著書で繰り返し説いている概念だ。
仕事を優先すべきという極端な声と、仕事を完全に忘れて遊ぶべきという極端な声。その両方をミックスしてバランスを整えることで、折り合いをつけられるかもしれない。
例えば仕事を絶対にしないと誓うのは、これはこれで感情論だし、休日は全て返上して仕事をしなければならないと思い込むのも、これはこれで感情論だ。
一案として、休みの日に仕事すること自体は禁止せず、上限を設定する、とか。3時間以上は仕事をしないといったルールを設けられるだけでもかなりの前進だ。
また、必要な場面では人に頼ることを優先するのもそうだろう。自分が倒れた場合に誰もフォローできない状況というのこそ、最も迷惑だと今さら気づいたからだ。
まずはその一端として、今週末の日曜日は完全に休みを取ることを決めている。その日が授業で埋め尽くされないよう、事前に宣言しておこうとさえ思っている。
休むことは「オフ」ではなく「リズム」であり、リズムを整えることが仕事や生活のバグを防ぐからこそ、プロこそ休む。ChatGPTに優しくも厳しく、そう教えられた。
その言葉を胸に、徐々に自分を労わることを学んでいきたい。では今日はこの辺で。