精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕の鬱が爆発する原因を紹介しておく。

「鬱が爆発する」という表現が、最近凄く気に入っている。この言葉は僕のオリジナルではなく、以下のnoteを読んで知ったものだ。

note.com

 

尚、ここで言う爆発は、外向けの巨大なエネルギーの放出ではなく、内側に向けた、エネルギーの強烈な収縮のようなものをイメージしている。

 

そっくりだなと思うのは、超新星爆発だ。詳しくは知らないのだが、これは桁外れの規模の”収縮”がその正体なのだという。

www.kids.isas.jaxa.jp

 

外に膨張する力と、内に収縮する力のバランスが崩れ、一気に瓦解する。内側に向かって、強大なエネルギーによって引っ張られて、そして閉じ込められる。

 

鬱の爆発という表現は、本当にぴったりだ。これが起きてしまうと、起床も困難になるほど、本当に全てを阻まれてしまう。

 

そして今、僕は鬱が爆発しかけている。色んな出来事が幾重にも重なり、本当に頭がおかしくなりそうだ。実際、その瀬戸際に居ることを、強く自覚してもいる。

 

そのトリガーは何だったか。はっきり言うと、これは偶然の要素が8割くらいあるのだが、「これだろうな」というものに心当たりはある。

 

今日はそれらを、少しでも鬱状態を解除するという狙いも兼ねて、こうして記事にして可視化しておこうと思う。

 

 

感情の不調和。

 

この数日、本当に心が壊れそうだ。国公立大学前期の合格発表。悲喜こもごもの報告が飛び交い、特に不合格の通知は、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。

 

後悔、憤懣、悲嘆。色んなものがぐちゃぐちゃに混ざり合い、もう訳が分からなくなりそうなほどだ。冗談抜きで、気が狂いそうである。

 

―正直、こういう辛さは、時間が癒してくれるものだ。だから僕は静かにこれと向き合って、ゆっくりと心を整えたい・・というのが正直なところ。

 

だが、現実がなかなかそれを許してくれない。自分の本当の感情さえ脇に置いて、僕は目先で求められるそれをひたすら演じているような感覚がある。

 

不合格の連絡をくれた生徒と電話で一緒に悔しがった数分後に、新規入塾のために朗らかな声色で面談を行う。その後でまた別の生徒を慰めている自分。

 

本当は僕も悲しみや悔しさに浸りたい。だがその想いを隠して僕は笑うし、おちゃらけるし、真面目な表情で大学生講師と仕事の打ち合わせをしている。

 

感情が、全く噛み合っていない。そうこうしている内に、自分が抱えている感情自体を、僕は認識できなくなっていくんじゃないだろうか。そう考えると、かなり怖い。

 

精神の均衡というと大げさだが、こうやって猛烈に心を揺さぶり続けていくと、僕の鬱は爆発に向かって急激に不安定になっていくように思う。

 

その時々の感情に浸れないことは、僕にとっては幸福ではない。むしろ破滅に繋がる第一歩に他ならないのだと、ただただ、恐怖でしかないのだ。

 

ルーティンの崩れ。

 

この一週間、僕のルーティンは崩れっぱなしだ。これも外部要因によるものなのだが、定時より2~4時間前倒しの出社が続いていて、やりたいことができずもやもやする。

 

朝起きて散歩に出かけ、筋トレをして、その日のリズムを作っていく。我ながら真面目過ぎると笑ってしまうが、この段階を踏まないと、イマイチ気分が乗らなくて困る。

 

朝に崩れると、正直夜も、決まりごとの実施がめんどくさくなってくる。自炊が習慣だったのに、気付けばそれもしなくなった。シンクには洗い物も溜まっている。

 

自分で取り決めたことができない日々が重なると、自分のことが段々嫌いになってくる。自己嫌悪や自己否定が常態化すると、全てが億劫になっていく。

 

エネルギーが内へ内へ向かっていくのが凄くよくわかる。気付けば本当に何もしなくなり、それが新たな日常にすり替わっていく。

 

僕は自分のスケジュールを勝手に弄り回されるのがこの世で一番と言っていいくらい大嫌いなのだが、この1週間は毎日がそれだ。

 

大体の人はそれに対し「苛立つ」というリアクションで返すモノらしいが、僕はどんどん無気力になっていくタイプだ。

 

とはいえ体力・気力が空っぽの状態で、無理矢理ルーティンごとに取り組んでも逆効果だ。大体はすぐに頓挫し、自己否定の材料を増やすだけになってしまう。

 

【心の疲れをとる技術】にもあるように、まずはしっかりオフを取るのが大事なんだと思う。しかしそれにもリスクがあることは、次の項で詳述する。

 

山を乗り越えた後の、新たな山の出現。

 

「あの坂を登れば海が見える」という、小学校の頃国語で習った作品のフレーズが、今でも強く心に残っている。ただし、あまり前向きな意味を帯びてはいない。

 

どちらかと言えば、苦しい状況下において、自分のケツを叩くために使っている。正直、「明日頑張れば、明後日はフル休みだ」という方が感覚として近い

 

しかし、さっきも書いたが、この思考にはリスクがある。それは、坂を登れば海が見えるなんて保証はどこにも無いことである。

 

むしろ坂だと思っていたら巨大な山の中腹だった、なんてこともザラだ。山を登りきったら、新たな山の入り口に立っていた。そんな風に。

 

思えば僕が過去、適応障害の診断を貰う前は、「もうちょっとで一休み」というタイミングを悉く潰されてきた記憶がある。

 

繁忙期が終われば労働時間が短くなるはず・・と思っていたが、それがデフォルトになり。あと少しで休日と思ったら、その休日が出勤にすり替わり。

 

その繰り返しの果て、スイッチがぷつんと切れて、僕の鬱は爆発した。内向きに転じたエネルギーがまた外に向くまで、半年近くも要してしまったのだ。

 

そういう風に、「あと一歩」と思っていたゴール地点が見えた後で遠ざかると、一番メンタルを病むことに繋がる。

 

ちなみに、ビジョナリー・カンパニー2にも確か書いてあるのだが、「あそこまでは頑張ろう」思考は、そもそも非常に脆いそうだ。

 

疲れているときは、それを直視し受け入れたうえで、その日その日を自分にとっての最適なボリュームでクリアしていく。

 

それが大事なんだと、改めて思わされた。

 

終わりに。

 

鬱。この状態になったら、できることは本当に無い。気力が湧かないのではなく、それがマイナスに転じ、あらゆる行動を止めてしまうほど、そのエネルギーは強い。

 

鬱になると、人は寝ること以外できなくなる。僕も適応障害を患っていた序盤の方は、本当に1日20時間くらい寝ていた。正確に言うと、覚醒すら困難だったのだ。

 

携帯も開けず、出すモノが無いのでトイレにも行かず。味がしない食事を摂るのも億劫で、人間としての生活を送ることさえままならない。

 

今はギリギリ、僕の中で反発するエネルギーが堪えてくれており、すぐすぐぐしゃっと崩れて鬱に転じるおそれはなさそうだ。

 

だがこの状況下で3月の休みが全て消えるとか、重いクレーム案件を食らうとかすると、多分へしゃげるだろう。このオフをどう過ごせるかが、明暗を分けるかな、と。

 

塾講師はやはり感情労働だ。そのことを自覚したうえで、どう自分をケアするか。超新星爆発を心に発生させないためには、本当に慈愛が必要なんだと強く感じる。

 

では今日はこの辺で。

 

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