精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「リフレッシュ」の意味を再考するきっかけになった今夏。

「リフレッシュ」とは何だろうか。もとい、「すっきり」するとは、どんな感情を指すのだろうか。この盆休みは、それを考えるきっかけになったように思う。

 

実は今回、実家に帰っていない。元々予定していた日に体調を崩したことが大きな理由なのだが、それまでの日々は人と会って、楽しい時間を過ごさせていただいた。

 

―だがこの盆休みは、終わってみれば、これまであまり抱いたことの無い、ある不思議な感覚が強いことに気が付いた。

 

それは、「なんか仕事したくねえなぁ」というものだ。正直、休みの期間内で僕はケジメを付けて、スパッと仕事に気持ちを切り替えるのが得意だと、割と自負していた。

 

そもそも自分の中では、上手くリフレッシュできた休日とは、その日の終わりには「早く仕事がしたい」と思えるコンディションに持っていけた日だと定義している。

 

ワーカホリック極まりないが、10年くらいこの基準で過ごしてきたように思う。だが今回は、その基準に達しなかった。となれば、この盆休みは”失敗”だったのか

 

そんな悲しいことは思いたくないと、僕の中の感情的な部分が反抗している。あれだけ楽しかったのだから、失敗だという解釈自体が無茶苦茶にバグっているぞ、と。

 

過ごしている時間自体は楽しかった。だが、自分が設定していた「しっかり休めたぞ」というラインには達していないと感じた。この対立をどう折衷するか。

 

今日はそんな、僕の中の天使と悪魔の問答を記事にしてみる。

 

 

「リフレッシュ」の意味を再考するきっかけになった今夏。

 

そもそも、冷静に読み返すと、これまでの「良い休日の基準」は、全く健全ではないという印象が強くなってくる

 

次の日に仕事がしたくなる状態というのは、前向きに「バリバリやるぞ」という感じではなく、やり残した仕事が頭の片隅に残っている状態に過ぎないと思う。

 

だからこそ、仕事がある日の午前中まで、仕事のことを完全に忘れるくらいの方が正しいのではないか。少なくとも、それを正しいと思うことに、実害は無いのではないか

 

リフレッシュとは、スパッと終わることもそれはそれで悪くないのだが、むしろ余韻が残るほど徹底的にクラッチを切れた状態を指すのではないか

 

すなわち、次の日に仕事がしたいと思えたら成功ではなく、むしろ次の日は仕事がしたくないほどの気持ちに持っていく方が、休みとして満点なのではないかと最近は思う。

 

ところで、去年のお盆は、人生最忙と言えるほどの楽しい時間を過ごせたと思う。結果、最終的には「仕事がしたいな」という気持ちに自然と移行した。

 

記憶との比較となるが、去年は最初の出勤ですぐ息切れをしたような思い出がある。そのときは遊び過ぎだと思ったが、それはもしかしたらズレているのかもしれない。

 

今は逆に、「もう1日休みたいな」という気持ちが強いはずなのだが、主にメンタルのコンディションが良いように思う。集中力が続きやすい感覚がある。

 

これまたただの比喩なのだが、「もう少し休みたかったな」という感覚は、今は深い睡眠を経た後で「まだ寝たかったなぁ」と思うのと似ているのかもしれない

 

逆にずっと浅い睡眠のままだと、疲れは取れない。だが、寝起きだけならスッキリとしやすい。メタファーとして、すごくしっくりくる表現だと我ながら思えてくる。

 

もう少し休みたかったという口惜しさが残るくらい、遊びや休息に対して真剣に没頭するくらいが、本当は丁度いいのかもしれない。

 

もしそうだとしたら、自分の基準を一度取っ払って、真の休日・休息・休養について、きちんと考え直す必要があるかもなと、そんなヒントを得られたように思う。

 

ということで、今日はこの辺で。

 

 

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