精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

理想の休日の過ごし方、遂に一番しっくりくる答えの端緒が見えた。

突然だが最近になってやっと、自分にとって理想的な休日の過ごし方が、ようやく掴めてきたかもしれないと感じている。

 

僕はずっと、自分が休日をうまく取れないことに対して、深刻に悩んでいたわけでこそないが、もう少し上手くやれたらいいのにと常々考えていた

 

人からその稚拙さを指摘されるたび、はてさてどうしたものかと思っていたが、ここ最近試している方法を通じ、やっとこさそれに確信を持つことができている。

 

てことで早速以下、本題に入っていこう。

 

 

仕事をするように遊ぶべし。

その方法とは、普段の仕事と同じように、やりたいことを紙に書き出して計画を立てることである。これが、僕にとって理想的な休日の過ごし方であると気づいたのだ。

 

ここだけ聞くと、例えば「せっかくのオフなのに、仕事のようなことをしていたら、リフレッシュにならず楽しめないのではないか」と思う人が多いかもしれない。

 

しかし、僕にとっては逆で、計画を立てて、その計画に沿って行動しないと、まるで落ち着かないのだ。何か大事なことを忘れている気が、ずっとしてしまうのである。

 

言うなれば、自由に行動を決められる状態は、僕にとってリラックスではなく、ただのカオスに等しい。「自由への眩暈」をずっと感じている時間に過ぎないのだ。

 

実際、ただゴロゴロするだけよりも、「今から1時間はゴロゴロしよう」ときちんと計画を立てておいた方が、健全にゴロゴロできる

 

さらに、そのゴロゴロの内容も詳細に決めた方が、より集中できる。例えば、最初の20分は読書をして、後半の20分は好きなYouTube動画を見て過ごす、という風に。

 

立てた計画は紙に書いておくのが一番良いが、僕は自分しかいないLINEグループを2つ作っているので、手元にメモが無いときはここに書き出しておくことが多い。

 

そして休日が近づくと、その内容を基にタスクリストを作成し、当日はそれを実行していく。これが、僕における休日の過ごし方として、最適解に近いと思っている。

 

これはなぜだろうか。仮説に過ぎないが、僕は、多分ASDの症状を持っている。その特性として、「無秩序な状態」が、実は非常に苦手なのだ。

 

言語化されていない思考が溜まれば溜まるほど、下水管に詰まった脂の塊みたいにそれが固着し、僕の頭が澱のような何かに支配される感じがしてきてしまうのだ

 

だからこそ、「休日は何をしてもいい」という状態それ自体がストレスになってしまうのだと、ある意味論理的に納得している。

 

休みの日に何をしていいかわからなくて落ち着かないとは感じていたが、それを裏返すと、自分で計画して行動すれば、ちゃんと休めるのだということが改めて分かった。

 

今回の試みを通じて、それが実感できたように、強く思う。

 

今日は、実は33日ぶりのフルでの休日だ。そんだけ間が空けば、休みの取り方なんて完全に忘れているようなものだ。だがそれはある意味で好都合でもある。

 

だから今日も、「あの防波堤に釣りに行こう」とか「それが終わったらこれをしよう」といった計画を立てて実行した。その結果、今日は非常に充実していたと実感する。

 

これからの時間にまだやることが残っているというのも、むしろありがたく感じる。寝る時間も予定として決めているので、あとはそれを実行するだけだ。

 

もちろん、何も決めずに過ごす方が良いという人が多いことも理解しているが、僕にとっては、計画がキッチリある方が圧倒的に安心できるのである。

 

もし、何もしなくていいというアドバイスがしっくりこない人がいれば、あえて休日も計画を立てて過ごしてみるのはいかがだろうか。

 

そんな提案をもって、今日はこの辺で。

 

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