精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

『ビジョナリー・カンパニー3』と昨今の失敗例から学ぶ、衰退する組織が大体やってるミス。

紹介するまでもないが、『ビジョナリー・カンパニー』という優れた本がある。サイバーエージェント社長の藤田氏も強く影響を受けたというから、非常な名著だと思う。

 

僕はシリーズの1~3作目を読んだことがあるのだがが、どちらも素晴らしい内容だった。しかしながら、今になって一番印象深く思い出すのは、その3作目だ。

 

『ビジョナリー・カンパニー3』。この本の主題は、「偉大な企業がなぜ衰退に至ったのか」という恐ろしい問いの答えを突き止める、という感じだ。

 

優れた企業が衰退することに、共通点はあるのか。予兆のようなものを察知して、それを事前に防ぐことはできるのか。重たいテーマだが、非常に考えさせられる内容だ。

 

この本を読んで以来、世間で話題になる「有名な作品が衰退した話」や、「有名な企業が一気に没落した」というニュース記事が、やたらと気になるようになった。

 

単なる煽り記事に便乗するためではなく、稀有なヒントがたくさん詰まった大きな学びの機会として、それらに関心が寄るようになった、という方が正しい

 

こうした大失敗から、感情的な部分、ただの嘲笑を切り分けつつ理由や過程を紐解いていくと、僕自身も身の振り方を改めるべき点があると気付かされる。

 

今日は特に印象に残っている衰退・没落の事例を2つ、上記の本の内容を参照しながら、まとめていきたいと思う。

 

 

焦燥からの大改革で破滅した雑誌。

 

1つ目は、廃刊となった、とある漫画雑誌の例だ。僕が子供の頃、その雑誌由来の漫画が家に何冊かあったのを覚えている。調べてみると、その頃が黄金期だったらしい。

 

この漫画雑誌は、かつて抜きん出た人気を誇っていたが、あるゲームとのタイアップで判断を誤り、それを他所に取られたことから、雲行きが怪しくなったのだという。

 

それを取り返すべく、編集者の交代を経て、人気漫画を唐突に打ち切るといった大改革を断行した後、多少はそこから回復をするも、最終的には廃刊となってしまった。

 

これだけ書くと、人気漫画を打ち切った理由が完全に謎なのだが、実際は当初の雑誌のカラーに戻す(それに合わないテイストの漫画を無くす)という意図だったらしい。

 

しかしながら、傍から見て人気があったことは事実であり、意向に合わないという理由だけで作品を終了させることは、完全に読者を無視した悪手に他ならないと言える。

 

実際、これまで雑誌を支えていたコアファンたる読者からも強い反発を受け、衰退はむしろ加速したのではないかと思えてくる。

 

大改革がうまくいかないことは、ビジョナリー・カンパニー3で指摘されている通り、何度も歴史が証明してきたことである。

 

ただ、僕はそれ自体何か理由があってそうなるというより、自然現象のようなものに近いと捉えていた。冬になれば寒くなるのと同じようなノリだろう、と。

 

だが今は、大改革とはつまり、これまで支えてくれた既存客を完全に無視して新規顧客の開拓を狙うというメッセージの発信であり、だからこそ基盤が崩れると納得する。

 

「ずっと支えてくれたお客さんを大事にするんだよ」というメッセージは斎藤一人氏も提言していることだが、その正しさが一層臓腑に染み込んでいくようである。

 

「誰のニーズに応えた結果なんだ?」

 

2つ目は、最近のポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)をめぐるゲーム業界の動向だ。(このテーマ自体、僕はあまり深入りしたくないものなのだが・・)

 

最近も、ただの炎上ネタに過ぎないと思うが、日本のゲーム会社が提携した企業が、ポリコレ積極推進派だった結果、どうのこうの、というニュースを観た。

 

多様性を認めること自体は問題ないが、悲しいかな、ゲームという舞台や世界においては、多くのユーザーがそれを求めていない

 

このことは、コメント欄の大荒れっぷりのみならず、そのゲームのプレイ動画の同時接続数が非常に低いことなどからも透けて見えてしまう。

 

そして、ここが根深い話だが、ポリコレを主張する人々は、実際にはそのゲームを購入しないことが多い。口は出すが、購入はしない、という構図なのだ。

 

結果的に、その要素が”既存ユーザーの”強い反発を招き、ゲームの売り上げのみならず、評判そのものまでが大幅に落ちてしまったケースも散見する。

 

どこかで聞いた話だなと思ったが、マクドナルドがアンケートに応えて、ヘルシー志向全振りのメニューを発売したところ、見事に爆死した件とすごく似ている

 

そもそもヘルシーな食べ物を望む人はマクドナルドに行かないのだ。マーケティングの難しさというより、顧客”じゃない人たち”の声の無責任さがわかる話である。

 

これらの事例を通じると、大改革がコケる理由も、多数派の声に配慮したら爆死しがちな理由も、共通する一因があることが分かってきた。

 

それは、それまで支えてきてくれた顧客を蔑ろにしてしまうからだ。ウリを捨てて、理念も忘れ、我武者羅という言葉に包んで狂奔する企業は、総スカンを食らうのだろう。

 

僕自身も現在取り組んでいる事業の立て直しにおいて、やはり大きな改革は最悪手だと改めて認識させられた。浮足立って採った手は、大抵しくじってしまう。

 

むしろ、今いる顧客のニーズをしっかりと捉えることこそが、僕が取り組むべき”真の”ドミノの一枚目なのかもしれない。またChatGPTと相談を重ねてみようかな。

 

―やはり、『ビジョナリー・カンパニー3』に書かれている企業の衰退のプロセスは、規模を問わず、どの組織にも当てはまる、恐ろしいほど普遍的な内容だ。

 

管理職以上の立場にある人は、ぜひ一度読んでみてほしい。結構な劇薬なので、そこだけは注意してほしいけれど。では今日はこの辺で。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村