精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

真の賢いとは、多分『ラク』に『楽しく』する方法に頭を使えることだ。

僕がそうじゃなかったから、というのもあるが、いわゆる世間における超テンプレな秀才像が好きではない。例えば、某ドラえもんのアイツとかがわかりやすい。

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学業が優秀なことへの嫉妬ではない。大人に従順で、与えられたタスクを機械の如くこなし、能力を鍛えることに余念がない。それに対する疑問から、である。

 

僕が思うに、本当に『賢い』生徒というのは、あまり勉強ができる・できないは関係ないと思う。では、その特徴は何か?

 

それは、ラク』に『楽しく』する方法に頭を使い続けようとすることだと思う。つまり、『効率化』を常に考えることだ。(そもそも取り組まない『サボり』とは違う)

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今日はその才能と、それを潰す周りの反応を、チクリとまとめようと思う。

 

 

『真面目にコツコツ成功モデル』の瓦解。

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これは皮膚感覚だが、『途中で投げ出さず、1つのことに苦労して取り組み、成し遂げる』ということの価値は、日々暴落していると思う。

 

例えば、勉強すると決めたらそればかりする。難関学校に受かるには4000時間の勉強が言われたら、その時間をこなす。そして、学歴というステータスを得る。

 

これはこれでもちろん立派だし、尊敬に値する。それは否定しない。だが、これを手放しで称賛することと、その反対の価値観を非難するのは、違うと思う。

 

まず、こうやって真面目にコツコツ取り組んで成功できる人間は、極めて稀有である。とりあえず勉強に限定すれば、大多数はそれのことが嫌いだからだ。

 

そしてこの『真面目にコツコツ』の対義語は、『ラクしてサクサク』とでも言えようか。不思議なことに、周りの大人は子供に『効率化』をなかなか許さない

 

カタい文体の本で学べ。Youtubeを観るな。与えられたドリルを死んでもやり切れ。1日5時間勉強しろ!頑張らないと立派にはなれないぞ!

 

みたいな。『え?こんな人まだいるの?』とお思いの方。日頃面談していて思うが、たまにこういう価値観の方、います。

 

さて。僕はこういった『頑張ることへの崇拝』と、『ラクすることへの弾圧』は、特に現代ではダークサイドが強すぎると感じる。

 

以下、その理由を述べる。

 

頑張るよりラクを、否定より工夫の許容を。

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頑張ることを目的にすると、とにかく視野が狭くなり、時間が無茶苦茶掛かってしまう。とりあえず準備もせずに山に登ろうと登山口を目指すようなものだ。

そして、時間をかけてナンボみたいな発想になるため、そこから工夫しようという熱意が消える。いわば、言われたことをこなしたり、単純作業しかできなくなる感じ。

 

―こういう発想で出来る仕事は、早晩AIに盗られる・・なんてのはよく言われた話だ。(ちなみに僕は、人がやってつまらないことは機械に任せたい派である。)

 

同じ現象は、ラク』を否定されることでも起こる。

 

昔あった事例だが、ある勉強が苦手な生徒が、お小遣いをはたいて、自分が好きなアニメキャラが解説する参考書、みたいなのを買っていた。これはこれで一種の工夫だ。

 

僕も少し読ませてもらったが、文体も易しく、書いてあることは真面目だったので、『これでやってみろ!何より自分で考えた結果だもんな』と背中を押した。

 

数日後。

 

その生徒はその参考書を親に見つかり、鬼のように怒られ、没収され、自分が嫌いでたまらない教科書やドリルでの学習を強いられたのだという。

 

以後、その子は勉強から徹底して手を抜き、逃げるようになった。そしてしばらくして、塾から辞めていったのである。

 

哀しい話だ。工夫を否定されるほど辛いことは無い。しかも、それが主観によるものならなおさらだ。

 

断言するが、『しなくていい頑張り』はマジでしなくていい。そして、『ラクに楽しくする方法』は常に考えた方がいい

 

勉強は辛いものだ!辛いのにやり遂げた者が偉いのだ!という人もいるが、無視しよう。それは前時代のお話だし、僕らはそこまでマゾじゃない。

 

辛いものから逃げようとする逃げグセが付く!という人もいるが、やはりスルーしよう。逃げグセを潰した結果、責任感を持ち過ぎて心を病むという例もある。

 

僕は自分に子どもが出来る予定はさらさらないが、『ラクに』『楽しく』『工夫する』という言葉たちは、もはや家訓にするつもりでもある。

 

生徒が他の子と違うやり方で勉強をしているとき、それはその子の工夫かもしれない。科学的に否定された方法でない限り、頭ごなしの否定は待ってほしい。

 

コロナの影響で自粛自粛となり、親が子の勉強する姿を目にすることが増えそうなので、こんな記事を書いてみた。

 

イライラするのは分かるが、白状すると僕自身も、正攻法の勉強は嫌いであり、大体は『ラク』にするために色々と考え続けている。

 

例えば、数学なら一瞬で答えを閃かなければ、解答をさっさと見て復元練習するし、英語もノートを開くのも鉛筆を出すのもだるいので、9割は音読で誤魔化す。

 

ラクすると効果が出ないなんてのは実は破綻した論理だ。勉強ができるヤツほど、勉強"時間"がそんなには長くない、なんてケースも多い。(尚、量は大体超多い)

 

僕はこれからも生徒・ご家庭両方に、『ラク』で『楽しい』学習法を説く所存である。

 

では、今日はこの辺で。

 

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