精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

『集団授業における生徒制御』って、意外と研究進んでないなーって思ったり。

職場の僕の本棚を漁っていると、入社2~3年目に超悩んでいた『集団授業における生徒制御』の指南本が4冊くらい、ゴロゴロと出てきた。

 

一応列挙しておくが、僕のクラスにどんなヤツがいたかよくわかるラインナップである。

 ―新任教師ほど心を病むというメカニズムは、痛いほどわかっている。授業に入るたびに無力感に襲われ、味方はいない。愚痴っても自分の怠慢を責められる。

 

そしてそのケアは、残念ながら『てめぇで頑張れ』の色がまだまだ強い印象である。悲しい話だが、鬱病罹患率が高いのは当然だと思わされる。

 

今日はただのエッセイなのだが、この辺の問題について私見をうだうだと書いてみようと思う。

 

 

『集団授業』を運営するコツは、実は人それぞれの『仮説』である。

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ネットで一発ポンと検索すると、『集団授業』の運営に対する悩みと、その一応の解決策は、山ほどヒットする

 

しかし、それを何かしらの実験で証明しているケースは、まず無いとみていい。明記されてようがいまいが、その全ては、『私の経験上』という但し書き付きである。

 

―ちなみにこれは、研究者の怠慢というより、再現と追跡調査が極めて難しいという『集団授業』の特性のためだと感じる。

 

例えば実験グループの母体を募集し集めたとして、その時点で一般の小・中学生とは状況が全く違う

 

友人関係・交友関係、学力層、やる気の有無など、その複雑すぎる全ての要因を反映させることなど、不可能である。

 

また、得てして、荒れたクラスの立て直しはすごく長期の戦いとなる。そしてその間も、当初から状況は変わり続ける。

 

したがって、たとえ何年調査している場合でも、仮に荒れの原因とされる生徒が転校したという場合は、もはやデータとして使い物にならなくなる

 

―こういう事情があるため、今のところは他者の経験を参考にしつつ、自分のキャラや状況を鑑みて、各人が柔軟に応用することが限界なのだ。

 

それでも効果がありそう・あった施策を述べる。

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―しかし、仮説の域は出ないし、個人差も相当なのは承知しながらも、ある一定の共通テクは存在しているっぽい。

 

以下、以前書いた記事の焼き増しに近いが、列挙してみよう。

 

①指示は一度に一つだけ。

 

『わからない!』を生む原因は、説明が難解であったり、根拠を明記しなかったりと様々だが、実は盲点に当たる要素もある。

 

それは、同時にたくさんのことを指示している場合だ。

 

『はい、テキストを出して、ノートを開いて、P45の並び替え問題だけを解いて、できたら答え合わせ!』

 

・・・という指示は最悪だ。そこで生まれた混乱は集中力を削ぎ、結果、荒れに繋がる―と危惧する人はかなり多い。

 

今一度、教室がざわざわする場合は、自分の指示の出し方に気を付けてみるのも大切かもしれない。

 

②生徒ごとに反応を変える。

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人の話を聞かなくなる最たる原因の一つに『不信』がよく挙げられる。

 

そしてこの『不信』を生むのが、生徒ごとに態度を変えてしまうという行動なのだという。

 

例えば、優等生の○○さんが宿題を忘れても、「ま、たまたまだろ」と怒らず、一方勉強苦手の○○くんは少し姿勢が悪いだけで烈火のごとく怒る、みたいな。

 

ここまで極端だとクズと言い切って構わないくらいだろうが、似たようなことは気を付けないと結構普通に起こり得る。

 

指導するなら一貫性を。それが難しければ、そもそものラインの設定から見直す。この辺の押引きは、軽んじていると未来が悲惨である。

 

③そもそも授業が下手。

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最初にチョイと触れたのだが、授業そのものが下手だと、他の何をどうしようが崩壊が生まれていくとみて差し支えない。

 

特にこの辺は、偏差値が並の公立小中学校や、ビジネスである私塾の集団授業でシビアに問われる話である。

 

(※お利巧さんが集まった公立・私立校では、どれだけ授業がマズくても、割と荒れ""しない)

 

・・・僕が言うのもなんだが、実地以外で授業力を鍛えるのは非常に難しいと思う。(ある程度実地で経験を積んだ後なら話は別だが)

 

だからこそ、ある程度の負担や負荷は承知の上で、自分の指導を研修する場があるところへ行った方が良い

 

その全てを自助努力に振るような環境を強いられるのなら、転職でもなんでもそこから抜ける選択肢を考えた方が良いかもしれない。

 

終わりに。

 

この辺は全く終わりが無いテーマであり、既存の論理が通じない複雑さを秘めていると思う。

 

どうにも説法みたいなアドバイスや、心構えを説くようなコメントが目立つのは、かゆいところに手が届ききっていないが、正直仕方ないという側面もあるのだ。

 

僕も逃げちゃだめだと強く感じてはいるが、ある程度から先はバッサリ切り落として分離しないと、精神を病むという危惧は未だに抱いている

 

これから先も調査と実証を続けて、シェアできることがあればバリバリとしたいと思う。

 

それでは今日はこの辺で。

 

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