どちらの主張も筋道が立っていて、納得感も強いのに、その二つがどうしても相容れない。そんな構図の論争は、現実にいくつか存在する。
銃社会では犯罪が増えるが、と同時に自己防衛の術もある。多様性を認めれば色んな人が暮らす社会になるが、それは同時に衝突の火種を増やすことにもなる。
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暗号も同様だ。それを認めれば、個人のプライバシーは守られるが、犯罪者の秘匿性も守られ、より広範に影響を持つ犯罪計画を練り上げる隙を与えてしまうのだ。
特にRSA暗号などの最新の技術は、登場してから日が浅い故、それに関する議論も、運用例も、人類にはまだまだストックが足りない。
そういう意味では、まだその渦中だった時期に書かれた本書は、貴重な情報源と言えるのではなかろうか。だから今週も、新年関係なく、読みに行こう。
- 12月30日(月) 終わらぬ論争。
- 12月31日(火) 義悪。
- 1月1日(火) 革命とその後。
- 1月2日(水) 勝利宣言は今なされるべきことなのか?
- 1月3日(木) 嘘を嘘と見抜けないと・・
- 1月4日(金) 正しいのか?それとも・・?
- 1月5日(土) 量子の世界へようこそ。
12月30日(月) 終わらぬ論争。

暗号を認めるかどうかというのは、結局のところ、為政者がどこまで得をするかとか、それによって得をする人の方が多いかどうかとか、そこに帰着する気がする。
実際、暗号は現在、”認めざるを得ない”というのが、2000年代にはすでに風潮となっていたようだ。その裏には、Eコマースの台頭がある。
オンラインで決算・取引が行えれば、その恩恵は計り知れない。そのメリットは、傍受などのデメリットを補って余りあるほどだ。
ただしその風潮も、漏洩が原因となった事件が一つ起きれば、また簡単にひっくり返ることも想定できる。いつだって、こういう議論は終わらないものなのだろう。
12月31日(火) 義悪。

ジマーマンは武器の密輸扱いとして訴訟の場に立たされることとなった。しかし彼を裁くことに、意味はあるのだろうか?
既にPGPは広く流布し、複製され、数多のユーザーに歓迎をもって使用されている状況だ。
さらに、既存の法律のどれにも該当しない罪ということもあり、訴追自体が先例のないものであった。
結局ジマーマンは特に咎められず解放され、そしてある種のスターとして、システム系の会社に迎えられることになる。
1月1日(火) 革命とその後。
余談だが、PGPはこの本刊行当時は誰でもダウンロードが可能だったそうだ。(リンクまで貼ってある)
アメリカ国外の人はダウンロードする型を間違えてはならない、といった注意点はあるが、つまり誰でも使えるに違いないという。
筆者も早速ダウンロードして、メールなどのやり取りに活用しているとのことだった。
そういえば日本でも、Winnyが流行った頃、これと似た狂乱が起きていたように思う。
いわば英雄視されていた点まで似ているが、その顛末はだいぶ異なっていたことだけ、おぼろげに記憶している。
突き抜ければ、正義も悪も超越する、ということだろうか。
1月2日(水) 勝利宣言は今なされるべきことなのか?

一連の騒動を経て、ジマーマンは高らかに、暗号作成者側の勝ちを宣言したという。だが、歴史的に見れば、やはりまだまだ、評価の途上だ。
最強と呼ばれたバベッジ暗号も破られ、新たに最強と言われたエニグマも打ち破られた。
当時はRSAが最強と言われていたが、エリスのようにひっそりと、それをも打ち破る術を考えている人がいるかもしれないのだ。
ついに最終章に突入したが、そのテーマは「暗号の未来」だというから、本書で言う未来を今生きるものとして、楽しみである。
1月3日(木) 嘘を嘘と見抜けないと・・
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情報自体を堅牢化することはできた一方、それを操る人間のミスを食い止められるかどうかは別問題となる。
例えばPGP暗号と書かれていてダウンロードしたら、それは悪意あるプログラムで、情報をごっそり抜き取られた、等。
僕らがそれを馬鹿にして嘲笑するのは簡単だ。だがそれを重ねれば重ねるほど、次の被害者が自分になるリスクが増す気がしている。
暗号が強くなればなるほど、人間の弱みが狙われる。酷い!と思われるだろうか。 僕はむしろ、自然な帰結だと思えてならない。
1月4日(金) 正しいのか?それとも・・?

僕らがインターネットに触り始めた時期は、ブラクラだのウィルスだのも同時に勃興期であり、何度も再起動に追い込まれてきた記憶がある。
その中でも特に悪名高いのがトロイの木馬と呼ばれるタイプのウィルスだ。通信を抜き取り、他所へ勝手に転送する。バックドアといわれるアレだ。
これは個人情報の漏洩と収集という意味で多分犯罪なのだろうが、一方これによってデータを抜き取った結果、暗殺犯を逮捕するに至った、という例もあるらしい。
”正義のハッカー”みたいな、いわば義賊みたいな存在は、正義とも悪とも呼べる。ただそれだけなのかもしれない。
1月5日(土) 量子の世界へようこそ。

RSA暗号のような、数の暴力による堅牢さを誇るものを打ち破るには、何が必要か。数学的テクニックによる時間短縮が見つからない以上、ある意味脳筋解法が正解となる。
だから技術者は、もっといい性能を持ったコンピュータを求め続けている。しかしそれでも、当時の水準では全く足りず、数百万倍もの演算速度が必要だったそうだ。
その頃、ある夢のマシンの構想が動き始めていたという。それは今でもたまに耳にする、量子コンピューターなるものだ。全く理解できない一分野という印象しかない。
ちなみに、それで実は正しいようだ。第一人者たるニールス・ボーアの名言の1つに、こんなものがある。
何の疑問も抱かない僕は、何にもわかっていない。でしょうね、とでも言うしかない指摘、やはり何も思わない。
では今週はこの辺で。