精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

結局フル休みが仕事で埋まってしまったので、反省文を書いておく🦴

今日は、改めて自分自身に釘を刺すための記事を残しておきたい。多忙な日々の中、自分の行動を見つめ直し、改善点をやはり洗い出す必要があると感じたからだ。

 

というのも、今週末に取れると思っていたフル休みだったが、やはり露と消えてしまった。結局4時間くらいの労働が入ったので、これは休みと呼べない1日になるだろう。

 

なぜ僕の休みはこう簡単に消えていくのか。その根源は多分、僕のマインドセットそのものにあると、最近書いた。だが、まだ分析が足りなかったようである。

 

ということで以下、自分自身のメンタルを、我ながら面白がりつつ、もっと深く掘り下げることをもって、反省文と代えたいと思う。

 

 

憧れが生む狂気。

 

僕は昔から、信じられないほどのアウトプットを生み出す人々に憧れている。そのような人たちを見ると、「自分もまだ頑張れるのではないか」と思うことが多い。

 

しかし、それは成功体験に酔いしれるだけの、いわばエナジードリンクでやる気を出すような考え方で、再現性にも持続性にも乏しいことを、頭の片隅では理解している。

 

そうであるはずなのに、やはり僕はそういう突き抜けた人たちの働き方に強く惹かれるところがあり、似非でも良いから自分も似たことをしたいと思っているようだ。

 

その一方で、彼らの働き方を観察する中で、自分が履き違えている部分があることにもうすうす気が付いてきている。

 

その履き違えとは、彼らは決して、多忙かつ多動でこそあれど、一人で全ての仕事をしているわけではないという点だ。

 

たとえば堀江貴文さんを例に挙げると、自ら動く部分はあるものの、多くの業務は他の人に任せてたり、チームで動いたりしている。

 

言うなれば設計図を書いて夢を具体化する立場であり、そのためにチームの力をうまく活用している、という印象だ。皆を巻き込んで、動く結果、忙しくも充実している。

 

それに対して僕は、誰にも仕事が振れず、ただ一人で仕事を抱え込んでいる非効率的な状況を、「奮闘している」という風に解釈して悦に入っているだけだけではないか?

 

これはすなわち、自分の行動はただの自己満足であり、属人化をむしろ押し進めることで、結果周囲に迷惑をかけ得る状況を改善する努力を怠っている・・とも考えられる。

 

休みがないことを美徳とする風潮もあるが、そうした人々も実はナンダカンダで適度に休息を取っている。

 

休みがないことを上手く機能させるためには、仕事と遊びの境目を曖昧にしつつも、過労に至らないよう、自分に合ったペースに随時調整できるセンスが必要だと思う。

 

しかし、僕が抱える現実問題としてはどうか。今は確かに繁忙期に突入しており、去年よりも数値で見ても分かる通り、仕事量が増えている状況だ。

 

具体的にはここから年末年始どころか1月中旬にかけて、11時間以上会社にいる日々が続くことから、セルフブラック労働のスイッチを再び押さざるを得ないわけで。

 

去年も、この時期を乗り越えれば来年もラクになると思っていたのだが、蓋を開けてみればこのザマだ。なんなら去年以上に、僕は明確に孤独だ

 

やはり、自分の役割について、きちんと整理を進めたい。僕は校舎長なのか。それとも講師なのか。兼任の限界が見えてきた今、僕が潰えたら校舎も多分そうなるだろう。

 

少なくとも来年は、もう兼任に重きを置いた働き方は絶対にしない。そう誓い直した。授業をさせるなら、経営(というより細々した管理)はやってくれと、心底思う。

 

・・・以上、自分への反省と、今後の方向性を整理してみた。ゆっくり休める日が次にいつ来るかは全く見えてこないのだが、それが得られ次第、一旦間を空けよう。

 

次のステップに進むための基盤を、今一度築こう。僕の限界は思った以上に近いのだ。ということで今日はこの辺で。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村