年度切り替えって小忙しいよなってつくづく思います。中元です。
講師ってつくづく難儀な仕事で、安定した性格や機嫌が求められる一方、たまには説明の仕方や内容を変えないと飽きられるという二律背反っぷりである。
人気取りって言葉は小手先すぎて嫌いなのだが、露骨に嫌われるとそもそもウリである説明をシャットダウンされるので、最低限度の心掛けは必須。
となれば、大体意識せよと言われ始めるのが、『おもしろい授業』である。確かにおもしろい授業って、何となく評判が良さげである。
だがこれって、よく考えればわかり易く聞こえて実は超抽象的だ。つまり何をどうすればいいのかがよくわからないのである。
個人的な考えだが、僕は授業時間内に『おもしろさ』は散りばめるべきだと強く感じるが、その中でも『interesting』と『funny』の帳尻は合わせるべきだとも考えている。
時間が無いので推敲せず一気に書くが、今日はそんな話である。
『interesting』を超日本語的に解釈すれば、『興味深い』といった方が適切であり、何らかの知的好奇心が刺激された際に抱くあの感覚のことである。
一方『funny』とは、いわゆるコメディ的な『おもしろいw』であり、人を笑わせることを指すというニュアンスがある。
実は一口に同じ『面白い』と言っても、このどちらかばかりになれば、それは飽きを生んでしまう。これは実体験としても凄く感じる。
授業の合間に鉄板の笑い話を毎度毎度入れようとした時期もあるが、『どうせここでくだらん話が来る』と、しばらくしたら飽きられたのをハッキリと感じた。
逆に毎度毎度教養を深めるような話をしようともしてみたが、説明に説明を重ねるようなものなので、低学力層からは総スカンをどうしても食らってしまう。
この2つは反応してくれる生徒は強く反応してくれるので、どちらも心地よいのだが・・・。教える側に立つのなら、区別して時間配分に気を回すべきだと思う。
今自分が話していること、ネタは『funny』なのか『interesting』なのか?
前者に偏れば講師ではなくただのピエロだし、後者に偏ればただの衒学者である。そういう機敏を、生徒はつぶさに観察し、キャッチしてくる。
めんどくさい思考だなと侮ることなかれ。ある程度説明に慣れてきた段階になれば、生徒の中にも安心という名の飽きが生まれる。
その時の原因の一つは、意外というかある種当然なのだが、マンネリズムにあることが大半だ。僕も折に触れて、反省するようにしている。
では、超小ネタだったが今日はこの辺で。