何故か最近起床時間が2時間後ろ倒しになっている中元です。オーバーワーク?まさかね、ハハハ・・。
さて。件の生徒だが、3月いっぱいでオシマイという連絡があったという。
塾での様子を聞かせてほしいと言われ、答えた結果、『やっぱ厳しいんですね』という反応だったためらしい。正直、形式として集団は向いてはいないとは僕も思う。
・・・実際内申点も僕は知っているのだが、テストの点数を考えるとあり得ない程低い。ということは、塾での様子以上に、学校で浮いているのではと邪推してしまう。
改めてふと思ったのだが、ADHDは特性なのか?それとも、LD(学習障がい)と同じで、別個のケアが必要なものなのか?
しばらくこの辺の勉強をサボってしまったため、少々わかりづらくなってしまった。だが、今後似たケースが出ることは絶対にあり得る。だから策を仕込んでおくに限る。
ってことで改めて、ADHDとは何なのか、ちょっと調べてまとめてみることにする。
ADHD≠アスペルガー症候群≠学習障害。
一見して【実は違う】ってのが非常にわかり易い図があった。それはコチラ。
ADHDとアスペルガー症候群の7つの違い - 症状の比較と合併症状について【LITALICO発達ナビ】
ってことは、それを前提にリサーチを進めると、それぞれの違いが見えてくると言えそうだ。
まず、『アスペルガー症候群』について調べてみた。
ぶっちゃけ乱暴な要約にはなるが、『他者の気持ちを読むことが著しく苦手』ってのが、その例として挙げられていた。
例えば婉曲的な表現を『面倒』と思いド直球に指摘したり(体重を気にする人に「太ったね」と悪気なく言うなど)、空気を読めないので発言を独り占めしたり、といった感じ。
ちなみに、我の強さもここに含まれており、徹底したマイルールや、特定の対象への深い没頭なども、メリットとして紹介されていた。
では、『ADHD』の方はどうか?
これには、不注意と多動があり、片方だけとか両方出たりとその症状は様々だが、『情報の受け手になった際困難が生じる』ってことだと思う。
話を完全にスルーしてしまったり、"我慢"ができず自分勝手と取られる行動に走ったり・・・。つまり、他者から情報を伝達されることが難しいって感じである。
で、最後。『学習障害』について。これは上記の2つとは完全に別で、「学習における特定の技能において著しい困難さを示す」というのがその中身だ。
例えば、文字がそもそも書けないとか、計算が指を使わないと全くできないとか、英語のスペルが全然覚えられないとか、そういう症状のことである。
従来であれば『努力不足』『甘え』ということでスッパと切られていた部分だけに、研究もケアの仕方もまだまだ途上という分野である。
―ということで、これら3つは完全とは言い辛いが、つまり別物だと、僕は納得できた。
実際ADHDと診断された生徒も、定期テストは平均65点程度はあるし、社会の点が非常に高いので、学業に著しい困難さを示しているわけではない。
逆に、学習障害(識字障害)を抱えているけれど、話を聞く態度には全く問題が無く、伝えたいメッセージは伝わっている・・という生徒も過去に例がある。
そしてまたまた別件では、話をしていいかダメかの分別といった社会性は獲得しているのに、算数の概念が全くと言って良いほど理解できないなんてケースもある。
こうなれば『アスペルガー兼学習障害』・・といった別個の括りをするだけ意味不明になるので、広い言い方をして『発達障害』てなことになるのではなかろうか。
この辺は素人の見識なので、違ったら即修整したいと思います。
ま、とりあえず一括りに『障がい』とされちゃうこの辺だけど、使いどころは結構気を配った方が良さげだし、やはり日頃から勉強しておくべきテーマだなと思わされる。
・・で、ADHDは【障がい】なのか?
英訳にも【Disorder】とあるからそういう強い訳になっちゃうのだが、そもそもDisorderとはどういう意味合いなのか。英英辞書を引いてみた。
a mental or physical illness which prevents part of your body from working properly
―くどいくらい忠実に和訳してみる。
(場面や状況に応じて)意識や身体が適切に機能するのを妨げる、精神的・肉体的な病気
という感じだ。やっぱ訳しても大げさになる。―とはいえ、【障がいにすべきか否か】ってかなりデリケートな論争なので、下手に突っ込むのも危険かなと。
ぶっちゃけここでいう【適切】とは、指導する側が理想とする空気のことだと思う。つまり、【みんなといっしょ】である状況のことかなと。
これをぶち壊すからといって、「障がいだ~」と一絡げにするのもナンセンスな気がする。
本来は別途のケアをした方が才能が輝くし、その子一人一人が無駄に敵意を集めることもないってのも側面としてはあるんだろうけれど・・。
そうしたらそうしたで教員の負担はまた増えるし、『疎外感を味わわせる!』という意見が飛び出したり、負の側面も非常に垣間見えてしまう。
今のところは『これも社会だよ』みたいな道徳で納得してもらい、100%の理想とは無いという大人の論理でまとめていくしかないのかなと思う。
もどかしいけど。超もどかしいけど。
ってことで僕は、やっぱりどう考えても【ADHD】は個性だと思う。集団生活に向いてないという個性。それでいいと思う。
お笑い芸人をカッチリした式典に呼んでも仕方ないのと似ている。適材適所ということなんじゃねーかなと。
残り3回。何かしらでその生徒の今度に、向いている場所としてのヒントを与えられないだろうか。
つぶさに観察したいと思う。
では今日はこの辺で。