精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

『僕は今の塾の業態に飽きている』

難しい話を読んでると、無駄に考え事の語彙が高尚になりますよね。中元です。

 

今日は、作業と作業の合間の休憩中にぼーっとしていてふと思ったことをテーマに、記事を書いてみようと思う。

f:id:pochihiko_inunosuke:20211210161806p:plain


こないだふと結構空き時間ができたので、今年度の売り上げはどないなもんかと、Excelにポチポチ打ち込んでは計算式を弾いていた。

 

すると、結構上々というのがわかり、一瞬だけほっとした。しかしその直後、自分でも意外なのだが、はっきりと感じたのはマンネリズムである

 

空虚感と言えるかもしれない。だがどのみち、何かがすっぽりと抜け落ちた感覚を抱いたことに変わりはない。

 

・・・一体、僕はなぜそれを感じたのか。それを踏まえて、ではこれからどうするのか。ただの独り言だが、以下続きである。

 

 

根拠のない成長に意味はあるのか?

f:id:pochihiko_inunosuke:20211206190013p:plain

 

そんな空虚感やマンネリズムを感じた原因は、その売り上げを裏打ちできる、具体的に自分が取り組んだことがパッと浮かばないせいだ。

 

「去年と今年で違った手を打ったか?」「去年と今年で、上役の方の見る目は変わったか?」「去年と今年で、僕に権限は増えたのか?」

 

一瞬の間に脳内問答を繰り返したが、答えはいずれもNOであった。順調とは気のせいの話であり、現状維持とはすなわち衰退。

 

そういう怖い文言をずっと読んできたので、現状を手放しに賛成することは、どうしてもできそうにない。

 

授業して、面談して、大学生講師に仕事を振って。この着実な繰り返しこそが成果になったと解釈はできるのだが、僕はどうにもそこに満足を感じられない

 

なぜだろう。夏に限界以上に仕事を詰め込んで、結果一人で作れる財の少なさに慄然としたばかりなのに、組織で出た成果に不満を感じているという謎

 

・・どういうことか、ちょっと考えたら、ある仮説が閃いた。

 

それがタイトル通りの話。僕は今の塾の業態に飽きているのでは?

 

続いては、それを基に書き進めてみる。

 

欲しいのは成長痛。

f:id:pochihiko_inunosuke:20211202154328p:plain

 

つい最近、現状を考えればムダと思って止めてしまったが、あれやこれやとこっそり色んな手を試すのが、本来はかなり好きである。

 

新しい掃除グッズの導入から、校舎掲示物、果ては新しい形態の授業の提案まで、色々とやってきたという自負はある。

 

しかし、そこには色々なミスマッチがあった。裁量を持ちたい僕と、あまり裁量を持たせたくない上役と。そして結果、僕が折れる形となった。

 

今は自分が昇進したときに備え、省エネに努めてこそいるが、本来僕は10勝5敗くらいの配分で色んなことをしたいと思う人間である。

 

では今年、僕は15回も打席に立ったか?何かしらの勝負をしたか?そう、この問いにこそ、はっきりとNOが突き付けられるのだ。

 

僕は金を生めたかもしれない。だが、価値は生めていない。

 

その事実に、他ならぬ自分が気づいている。だから、今回の数字に、愛憎入り混じると言っても過言じゃない感想を抱いているというわけだ。

 

ぶっちゃけ、これはある種【教育】に携わるものの宿命なのかもしれない。保守的な組織に属している人を対象に商売をするのだから、自然なことなのだ、と。

 

むしろそこに何かしらの矛盾を感じている僕の方が、実際を正しく理解していない側なのではないかと、そういう不安を抱くこともある。

 

・・・別校舎の長になった人が最近、すごくうらやましい。

 

色んな手を打って、失敗も成功もある、そんな単調ではない時間を過ごせているからだ。仕事って本来こうだよなと、繰り返すがすごく、うらやましい。

 

新しいことをしたいけれど、新しいこととは馴染まない世界。勉強を教えるだけでいいなら、成績を上げるだけでいいなら、これ以上塾なんて要らないはずだ。

 

ではどうするか?これについては、もうある程度の限界まで勉強を重ねた。コミュニティ論、価値創造、エトセトラ。

 

だから、これ以上のことは、とにかく実践してデータを集めたい。そのためのアクションを起こすには、まだまだ価値観の衝突が頻発している。

 

そこにぶつかるたび、はっきりと「つまらなさ」を僕は抱く。そして今いるところが泥舟になりつつあるのではという危惧も抱く

 

自由って、あとは何をすれば得られるのかな。今はもう、諦めに近い感情の中で、ぼんやりとそんなことを考えている。

 

終わりに。

 

実は来年、新入社員が入るという。会社はその話題で盛り上がり、新風が入ることに期待する声も多い。

 

だが僕は真逆だ。危惧している。会社に悪影響があるとかじゃなく、その人が絶望しないかどうかを、だ。

 

えてして、自分の声が通らない、誰かの時間を生み続けることだけを期待される、そんな状況は死ぬほどつまらないものだ。

 

僕はそれに"耐えてきた"というのが正確なところで、何とか全力で、その人に同じ寂寥感を味わわせたくないと、もうこっそり決意している。

 

そのためには僕にもやはり、立場が欲しい。だが、欲しいと願うばかりじゃやっぱり手に入らないらしい。打ち破るべきはなんなのだろう。

 

色んなことがわからないけど、僕が現状にはっきり「飽きている」のはうそ偽りないことである。こんな心持で仕事をするのは、生徒にも申し訳が無いってんだ。

 

・・・何が言いたいかよくわからなくなったけど、今日はこの辺で。

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村