精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

最近、【観察瞑想】がとてつもなく面白い。

急がば回れではないが、色々と踏ん張りどころが続いている今、自分の心をしっかり整える重要さをひしひしと感じている。

 

例えば僕の主観的な好き嫌いで物事を決めないとか、不安・苛立ちといったネガティブ感情から思考を切り離すとか、この辺りのスキルは身に着けないとマジで詰む。

 

自分の感情を深く観察する力というのは、何もクリエイター畑にいる人だけが身に着けるべき特殊なスキルというわけではない。もはや全員必修ものではないかとさえ思う。

 

「感情的な部分」にどうやって理性を届かせて、心を安定させていくか。これはやはりとても難しく、一筋縄ではいかないが、幸いにもその探求自体はすごく楽しい

 

それに関連して、今日はその中でも優先順位をマックスに高めて勉強と練習を重ねている【観察瞑想】について、現時点での知見を棚卸ししておく記事である。

 

では以下、本題である。

 

 

【観察瞑想】とは。そしてそのメリットとは。

 

僕が今まで取り組んできた瞑想は、いわば「マインドフルネス瞑想」と呼ばれるもので、ふらふらと彷徨う意識・メタを、都度「今ここ」に引き戻すことを指す

 

例えば、坐禅もどきを組んで目を閉じていると、色々な想念が頭の中に立ち込めてくる。過去の嫌な記憶、未来への不安、現在抱えている未消化のタスク、等々。

 

それが自分に憑依するような感覚があったら、再び意識を呼吸に向け直す。数をイチから丁寧に数えつつ、それだけに集中するのだ。

 

これは別名「集中瞑想」とも言うそうで、どちらかと言えば感覚をひたすら研ぎ澄まして、”今”に集中する方向へ持っていくという構図を考えると、その名称にも納得だ。

 

さて。先程紹介した【観察瞑想】だが、実はその構図・心構えとしては、この【集中瞑想】とは逆のものとなる。意識をとにかく、自己の内外へ拡大していく感じなのだ。

 

英名は「Open monitoring」であり、自分が無意識にカットしている感覚のひとつひとつを敢えて意識下に持っていき、数多の刺激・感情へ同時に意識を広げるのだ。

 

口で言うと物凄く難しいが、ハンターハンターの1コマに、物凄く端的にそれを言い表しているものがある。以下の画像を見れば、一撃で伝わるのではなかろうか。



試しに、ふと手を止めて、今の自分の内外に存在する刺激・感覚をいくつ拾えるか、やってみてほしい。

 

外を走る車の音、人の声、臀部が椅子にめり込む感覚、飲んだ水が食道を通って胃に下りていく感覚、鼻から吸った息が肺に到達し、胸郭が広がる様子・・。

 

「熟達論」にもあるが、僕らが日頃から受ける刺激を全て拾うと、脳の処理可能な水準を簡単に凌駕する。意識下にもっていくのは、無条件で良いこと、ではないのだ。

 

逆に言えば、普段からそれくらいの刺激を僕らは受けている”はず”だともいえる。潜在意識がカットしてくれているそれらを、どこまで能動的に拾いに行けるか。

 

【観察瞑想】とはまさにそのことであり、集中瞑想とは逆で、あらゆる刺激を認知したうえで、何の評価も下さずひたすらに眺め続けることなのだ。

 

ちなみに観察瞑想のコツは主に3つあり、「実況を止めないこと」「動きをスローにすること」「身体感覚に敏感になること」だという。これ自体にはすごく同意する。

 

敢えてゆったりと動きながら、自分の動作、自分が受けた感覚、それを脳内で実況中継し続ける。これをしばらく行うと、メタ認知を得られる実感は、確かにある

 

”僕が”何をしているか、という感覚を超えて、あたかも一人称視点でゲームを操作しているかのような感覚に至れる、というか。これはまだ修練の途上なのだと思う。

 

そして一番ありがたいのは、実はこの観察瞑想こそ、HSP気質のある僕にとっては非常に相性がイイというものが挙げられる。

 

集中瞑想は、ある特定の意識に”のみ”集中を向けることだ。だが僕は日頃から、どうやら他者が感じる世界よりも、刺激だらけの世界を生きているっぽい。

 

その中から1つの刺激だけピックアップすることは、登場人物が全て気ままに動き続ける状態の、「ウォーリーをさがせ」をやるようなものだ。非常に疲れてならない。

 

そういう悩みを感じていたので、あらゆる刺激を知覚しながら相手をしないというスタンスを維持する【観察瞑想】こそ、僕によりしっくりくるものではないかと思うのだ。

 

・・この記事を書いていて気付いたが、僕が今までやっていた瞑想は、どうやら【集中瞑想】”ではなく”、そもそもが【観察瞑想】だった可能性が高い

 

というのも、呼吸にだけ意識を向けるよりも、魚を飼っている水槽にフィルターが水を落とす音や、呼吸で肺が膨らむイメージも感じた方が、集中が楽だと思っていたのだ。

 

僕はこれを「集中状態」だと解釈していたが、実際はその逆で、「何にも意識を向けていない凪の状態」にいたことをそう捉えていただけかもしれないのだ。

 

ただ、行き着くルートはまるで異なるし、そして実際の状態も真逆なわけだが、結果もたらされる心の様相はすなわち平穏なので、僕としては正直どっちでもいい。

 

集中がムリなら、拡散を意識する。これなら別に静かな環境でなくても、いつでも実行が可能だ。すごくありがたい方法に出会えたことを、物凄く嬉しく感じている。

 

また何か気づきが得られたらお伝えする。では今日はこの辺で。

 

 

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