大人になれば、人生経験を積んで素養を自動的に得る分、ある程度の勉強は不思議と分かるようになる。
だからか、子どもが頭を抱えてるとき、『なんでそんなのもわからんのん?』と思うことが増える。自分がその時出来ていたかどうかはさておき。
―それを口にすると、せいぜい当事者間の喧嘩になって終わりだが、僕の仕事の場合は評価を著しく損ねてしまう。だから口が裂けても言わない。
だが、意識して『わからないだらけ』の世界に飛び込まねば、この感覚はじわじわ消えていく。僕が読書を欠かさない理由の1つは、実はここにある。
さて。そこで今日は、『わからないことだらけ』の世界に、今の僕が飛び込んだら、どう対処するか。
つまり、いきなり高校生に逆戻りさせられて、素養があまりない世界の勉強をする必要に駆られたとき、自分ならどうするか。
そういうある種の思考実験を行ったので、シェアのため書いてみる。今日は、皆が苦しむ世界史について試したので、以下備忘録である。
まずは全体像の確認。
とりあえず、とにもかくにも全体像を見なければ始まらない。テキストが何であれ、まずは区切りが良いところまではとりあえず僕なら読む。
尚、時期的に時間が取れるのなら、最後まで目を通す。ただし、どうせ覚えられないので、無理に覚えようとは絶対しない。
この段階はとにかく読みさえすればいいのだが、1つだけ心掛けておくと理解が早くなることがある。
それは、知っている知識を結び付けるという心がけだ。。
例えば、今回使った世界史のテキストは、出だしが『メソポタミア文明とエジプト文明』であったが、これは中学校で軽く習っている事柄だ。
「あーね、あの辺のお話ね」「じゃあ、そこの知識が深まるって具合かなー」
・・・という感じの既視感を自分で作れれば、それはかなり強い。
最初はそこを意識して、僕ならテキストに目を通す。(わからないところがあっても、次のステップで処理するので気にしない)
『がさつ』にノートへまとめる。
一通り説明に目を通したら、それをノートへまとめる作業に移る。とはいえ、やはり丸ごと書き写すだけのことはしない。
僕はなるべく単語のみを書き出し、それに矢印を書いたり×を書いたり、自分なりの語呂合わせや知っている・似ている知識を添えたりと、『雑』だが『工夫』はする。
例えば、アッカド人からシュメール人に矢印を伸ばし、シュメール人に×を付けておく感じ。(滅亡させた側とした側)
後々情報が足されれば、最初に書いた語句の横に書いておく。エジプトの文字はヒエログリフだが、それはロゼッタストーンを用いて解読され・・・等々
結果出来上がったものは、前にも書いた記事の、経済学を勉強する際に使っているノート並みに、解読が難しくなるが・・・。
実はここに狙いがあるため、僕なら気にせずガシガシと書き出していく。
尚、知識がない状態なら無理して教科書にかじりつかず、素直に参考書から手を出そう。難易度は下げるに越したことは無いのである。(僕なら確実にそうする)
そしてメモ書きから説明を思い出す。
で、最終ステップ。書き出した情報を見返し、どんな説明があってこれらの知識は繋がっていたかを思い出すのだ。
例えば、『シュメール人』という語句から始まり、説明を繋げ、最終的にオリエントの統一くらいまでの流れを脳内再生できるかを試すのだ。
もしどうにも無理であれば、それは再度参考書を読んで確認すればいい話。ここまでで15~20分なので、これなら多分僕でも継続できる。
次回はノートの思い出しから復習開始。
実はこの程度の時間でも、調子が良ければ学校の授業2~3コマ分は進むので、復習はマストだ。
だが、例えば問題集をゴリゴリ解くとか、僕はしない。テスト前にネタが無くなってしまう。
だから、前日にやったノートの思い出しを復習に代える。そうすれば、これまた調子が良ければ3~4分で終わるのだ。
ものぐさに見えるが、時間対効果を突き詰めればこうなると思うので、僕ならこのルーティンで勉強を進める。
感想。
ということで、やはりつくづく思うことがある。
「勉強はやり方の要素も超大きいなぁ・・・」
無論、才能でないと説明が付かない差異というのもあるが、ある程度はやり方でカバーができる。
だが、誰だって変化は嫌なので、昔から続けている学習法に固執してしまう。
このジレンマ、解消の術は日々考え続けねばなるまい。
では、ここに書いたことが何かの参考になればありがたし。今日はこの辺で。