昔記事にもしたが、振り返れば『ちょい多動』くらいあったんじゃねと思う程に、僕は落ち着きがないガキンチョだった。
だから、45分以上も一方的な講義を受けるなんてのが、心底退屈で、耐えきれない。結果話を左から右へ流し、ノートは白紙で『関心・意欲無し』と通知表に書かれる。
何度も何度も、テストで点を取ってもこの辺の謎に弾かれた僕なので、流石に頭を使って考えた。
どうすれば、もっとバレないように聞いてるフリができるか、を。(45分集中とか、実は今も無理なんです)
そして、いくつかの方法論を試し、修整していった結果、高校2年になる頃には『割とバレない聞いてるフリ』を確立できていたと感じる。
そこで今日は、同じ悩みを持つNot優等生に向けて、僕というカスが考えた方法論を伝えたいと思う。実践の際は、自己責任でドウゾ。
では行こう。
①先生の似顔絵を描く
なんだかんだでイッチバン使っていた方法。やることは、ノートに先生の似顔絵を描く。それだけだ。
これのメリットは3つある。
①先生と時々目が合うため、『やる気あるな~』という印象を抱かれがち
②なんだかんだで、ノートに何かを一心に書くという行動ができている
③くっそ時間が潰せる
という具合だ。飽きてくれば教室の備品を丁寧に模写したり、そういう風に遊んでいた。
―で、ある程度絵に没頭すれば、結構な量の板書が出来ているので、頃合いを見てそれを書き写せば終わりとなる。
作品が残ってないかと実家を漁ったが、流石に現存しなかった・・・。記憶にあるだけでも5人以上は描いたし、その内数名は背景も付けた覚えがある。
お絵かきが好きなら、試してはどうだろう。
②教科書ガイドを買うか、ネットで調べる
今だから生意気なことを言うが、特に高校の頃、授業をきちんと聞いても古典と英語の力は微塵も伸びないなと思っていた。
理由は簡単で、教科書を開き、一文ごとに先生が当てて、和訳を言わせて修整・・・それしか授業でしていなかったからだ。なんだこのエセ翻訳家養成講座は。
だが、完全にスルーしていれば、当てられてもどこかわからないので焦る。当然予習もしてないため、答えることもムズい。先生の機嫌は悪くなる。良いことなし。
では何をしたか?きちんと予習をすることにしたか?断言するが、僕はそんな真人間じゃない。
金を出して解答を買ったのだ。いわゆる教科書ガイド。古典については、ネットを漁れば全文訳はおろか、品詞分解も出てくるので、授業が要らなくなる。
毎度毎度授業にそれを持って行き、その日に当てられると予想される範囲全てを、ザっと確認しておく。おかげで勝手に、ちゃんと予習してるじゃん!と思ってもらえた。
この辺の発想は結構大事だと考えていて、予習に費やす時間を教科書ガイドの代金で買えると考えたら、破格が過ぎるので手を出さないワケがないのだ。
金で何でも解決するな!という人もいるが、僕はそんなもんTPOだと思っている。思考停止させず、一度天秤にかけてはどうだろうか。
③テストで余白をつくらない
これは小手先というより、僕の気質なのだが、テストに白紙の部分を作るのが未だに無茶苦茶抵抗がある。この原体験は、多分中2の頃に遡る。
とある国語のテストの際、『5文字で書け』という問題があったのだが、答えがサッパリわからず素直に『わからない』と書いといたのだ。
すると超たまたま、なんとこれが正解。超ラッキーな2点をゲットしたのである。以後味を占めて、テストには必ず何かを書いている。
進研模試でも、歯が立たない数学で部分点をコソコソ稼いだり、英文和訳も最悪ただの直訳を取り、そっから無理やり体裁整えたヤツで数点もぎ取ったり・・・。
―振り返れば、これは功を奏したと言える。採点する側になった今だからわかるが、白紙で出されると結構イライラしちゃうのだ。なんだコイツと思ってしまう。
もちろん、『う〇ち』とか、全て同じ人名を書くとか論外なことをすれば大変なことになるが、少しでも希望があるなら臆することなく書けばいいと感じる。
終わりに。
―という風に書いてきたことからわかるように、『授業態度システムって何なんだろう』と、やっぱりつくづく考えてしまう。今はやはり過渡期なんだろうな。
優秀者として突っ走ってきた人は、『素晴らしい』と言い、落第してきた僕らは『クソみてーだ』と思う。
だが現状、このシステムを創る側に行けるのは、優秀者として評価されてきた者だけだ。
僕らがいくらヤンヤと言っても、『劣等生がほざいておる』と思われて終わりじゃないだろうか。闇を感じるぜ、闇をよぉ。
この辺のパワーバランスは結構気を付けてないと、暗記偏重型の、かつ病的に空気が読める人間で成績上位層が固まっていくような気がしてならない。
しばらくは注視ですなー。
では今日はこの辺で。