精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

経営の勉強をしていると、働き方に関する目線がマジで変わる。

毎日、30分弱は意地でも捻出し、経営に関することをコツコツと勉強しなおしている。本当に取り留めもなく、勉強すればするほど発散するが、学んでいて結構楽しい。

 

例えば所得税、住民税、消費税、法人税、所得の計算式、売掛金、買掛金、正社員を雇うコスト、社会保険料、などなど‥。

 

こういった言葉は、イチ従業員だと「給与明細に書いてある項目」以上の感想をなかなか持てないものだと思うのだが、これらの意味を知るほど、僕は怖くなってきている

 

いかに無知な従業員であったか、社長に反省したい気持ちも湧いている。と同時に、こういう構図を知らずに呑気にしている人を見ると、苛立つ気持ちも湧いている。

 

視座が変わるってのはこういうことを言うのだろうか。それとも僕は、ただの勘違いで「知れた側」にいると思い込んでいるだけなのだろうか。後者ならあまりにもダサい。

 

ということで今日は、具体的に僕の見ている世界の意味合いがどう変わったか、それを客観的に眺めるためにも、以下言葉に起こしていく。

 

 

「給料分の仕事はしてるもん」というセリフは、相当腹立つ。

 

給料について、僕はその多寡にあまり執着が無い方なのだが、正直どれだけ割引いて考えても、「給料分の仕事はしている(キリッ」と口にするのは憚られる

 

僕らの手に渡るのは「手取り」であり、会社から出ているお金は社会保険料などを含めてもっとある、というのは知っていたが、計算すると思った以上に多かった

 

乱暴に言えば、僕が”受け取っている”給料の倍稼いでやっと、会社としては雇っているメリットがあるといえる状況なのだ。

 

だからこそ、給料分の仕事はしている、という自負が強い人は実際、雇うだけ赤字ということに他ならない。人間だれしも、トクしない取引などしたくないのだ。

 

僕はトクをさせられる側なのだろうか。正直そうではないという思いが強い。もっと自分の価値を上げるか、もっと働くかして、もっと会社に金を生まねばと誓っている。

 

「稼ごうとしない意識」は、めっちゃ腹立つ。

 

これは過去の自分に対する批判でもあるのだが、僕は額が太い提案をすることに、ずっと及び腰であった。どこか後ろめたい気持ちが強かったのだ。

 

しかし今は”綺麗に”逆であり、志望校・目標と、現状の成績や学習の進捗・様子などを統合して論理的に考えた結果であれば、10コマでも15コマでも推すようになっている。

 

正直、提案はこちらの仕事で、それを受けるか受けないかは顧客の意思なのだ。そこで及び腰になっているとか、あまりにもへっぴり腰過ぎて失笑ものである。

 

そもそも論、夏季講習やテスト前の追加授業などは、売り上げに直結す、数少ないコントローラブルな部分である。少しでもそれに繋げられないか、最近ずっと考えている。

 

―そういうのを理解せず、「この子は十分できるから夏季講習は要らない」とか、「〇〇検定なんて受ける意味ない」とか返す人は、神経を疑ってしまう

 

今はもうはっきりと、こちらがしっかりと根拠や必要性を準備している限り、稼ぐことは正しい行為なのだと強く理解している。それを卑しいという人の”小ささ”もだ。

 

「提案しなかったんですね。じゃあ給料減りますからそのつもりで」と言いたくて仕方ない。というか過去の自分も、そういわれたかったなと、今なら思う。

 

経営者って心底孤独なんだな、と。

 

―っていうことをつらつら調べて勉強していくうちに、もう一つ大事なことが理解できつつある。それは経営者の孤独だ。

 

見城徹氏の著書にもあるフレーズですごく心に残っているのが、「経営者の孤独は絶対に解らない」というもので、まだまだ真似事の段階だが、「確かに」と思っている。

 

先に書いた、所得税、住民税、消費税、法人税、所得の計算式、売掛金、買掛金、正社員を雇うコスト、社会保険料・・知れば知るほど、色んな感情がこみ上げてくる。

 

なんでもっと早く知っておかなかったんだとも思うし、学んだ今はもう、知る前には戻れないとも思っている。自分の怠慢も、他人の怠慢も、関係なくよく見えてしまう。

 

校舎に残る大量のビラ。一切更新されない掲示物。全く上がってこない成績向上実績。それでウチが選ばれる、生徒が来るとでも思ってんのかよ?-とキレそうになる。

 

しかし、彼らも彼らに見えている世界、彼らの論理における正しさで行動している以上、僕は彼らにとって”異物”であり、理解できない思考をしているといえるのだ

 

徹しようと思えば思うほど、理解されなくなり、冷たくなったと言われ、頑張りすぎるなと煙たがられ、勘違いするなと罵られ。そういうのにももう、慣れた。

 

顧客が集まっていることは前提として、ある意味孤独になっていけばいくほど、経営者としては正しいのかもしれないと、そういう矜持は抱けている。

 

―ということで今日はこの辺で。

 

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