精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

感情に振り回されてないつもりだった僕は、全く別の形で、つまり感情に振り回されていた。

一部は有料のものに登録しているほど、いろんな経営者やチームリーダーのブログ、メルマガなんかを読むのが好きである。

 

別にそれを読んで「俺の経営者レベルが1上がったぜ」とか思っているわけではなく、自分の仕事に向き合うために、日々更新される参考書みたいな感覚で読んでいる。

 

そういうものを読んでいると、割と繰り返し出てくる話がある。「感情に振り回されるな」というものだ。

 

自分の機嫌が悪いから人への当たりも強くなるとか、私生活で嫌なことがあったから仕事中もずっと不機嫌とか、そういう話である。

 

これについては僕も昔から、「そりゃそうだよな」と思っていた。そして同時に、自分は割とできている側だとも思っていた。

 

ただ最近、「いや、俺も普通に感情に振り回されてないか?」ということに、かなり変な方向から気づいた。今日はそんな話を丁寧に書いてみたい。

 

 

僕の感情は、割と静かに出てくる。

 

こんなことを書くと中二病臭いのだが、僕は昔から、分かりやすく感情的になることは滅多に無いと思っている。言うなれば、出方がかなり静かなのだと思う。

 

例えばライブなんかで、アーティストと観客が一体になって熱狂した時間より、全部終わったあとに一人で感じる寂しさや虚無感、余韻みたいなものの方が強く記憶に残る。

 

仕事でも、何かマズいことが起きたときに、「ヤバい!」「なんでこんなことが起こるんだ!」と感情が先に爆発することはあまりない。

 

かなりの確率で最初に出てくるのは、「めんどくせえ」である。そしてその次に、割とシームレスに、「で、どうしようかな」と考える段階に移行する。

 

だから僕は、自分について「感情に振り回されにくい方なんだろう」と割と長いこと思っていた。でも、どうもそんな単純な話ではなかったらしい。これが最近の発見だ。

 

先日気づいたのだが、僕にはどうも、その場にふさわしい行動を取るなら、その場にふさわしい感情も同時に抱いていなければならないという妙な前提があるらしい。

 

例えば仕事で何か不備があって、注意を受けたとする。もちろん、必要な対応はする。謝るべきなら謝るし、直すべきなら直す。ただ、それだけでは何か収まりが悪い。

 

「こういうときは、ちゃんと申し訳なく思わないといけないんじゃないか」となる。ところが自分の本心は、もっとドライな感じなのだ。

 

「分かった。じゃあ次から直そう」といった感じで、あまり感情が高下しない部分があるのも感じている。それでいいじゃん、と客観的に見れば思う。

 

ただ、僕の厄介なメタの部分は、「それは絶対に許さん!」とばかりに、過去の記憶なんかを引っ張り出してきて、無理矢理申し訳ない感情を憑依させようとしてくる

 

昔、本当に申し訳ないと思った場面。強い後悔や罪悪感を覚えた出来事。そういうものを頭の中で再生して、今の自分にも同じ種類の感情を発生させようとするのだ。

 

そしてこれを僕は、かなり長いこと無意識にやっていたらしい。「申し訳なさそうに振る舞う」のではなく、本当に申し訳ない気持ちになってから行動しようとする

 

ここまで考えたところで、「あれ?」となった。僕はずっと、「感情に振り回されないとは、それが荒れても、それを仕事へ持ち込まない」という意味だと思っていた。

 

でも僕がやっていたのは、行動するために、わざわざ必要な感情を作るということであり、考えてみればこれも相当、感情に依存している

 

むしろ、「適切な感情が発生しないと、適切な行動を取ってはいけない」くらいのことを、自分へ要求していたことになる。これは厳しい感情面の縛りではないか?

 

これは別の場面でも同じである。好きなことをするなら、楽しくなければならない。反省するなら、後悔していなければならない。頑張るなら、やる気がなければならない。

 

そう考えると、「モチベーションが出ないから勉強できません」と言っている受験生と、構造としてはそんなに変わらない。お前も感情待ちじゃねえか、と

 

これはちょっとどころではない、非常に嫌な発見だった。僕も”そっち側”だったのか、と。その構造は違うにせよ、出力されるものが同じならば、言い訳はできない。

 

ではどうするか。今のところ、そんなに派手な答えはない。感情と行動が一致していなくても、そのまま行動する。たぶんこれに慣れるしかない。

 

申し訳ない気持ちが十分に湧いていなくても、自分に非があるなら謝ればいい。やる気がなくても、必要なら手を動かせばいい。

 

好きなことをしている最中に未決のタスクが浮かんでも、続ける。そのたびに、「今、感情と行動が一致していなかったけど、何か問題が起きたか?」と確認する。

 

何も起きなかったなら、「別に一致してなくてもいいんだな」と少しずつ上書きしていく。その果てにしか、”変わる”は起きないのだろう。

 

たぶん僕の中では、かなり長い時間をかけて固まった考え方なので、一発で外れるようなものではない。

 

それでも、「正しい行動には、正しい感情が伴っていなければならない」という前提自体が、ただの思い込みなのかもしれないと気づけたのは大きい。

 

感情に振り回されないというのは、感情を押し殺すことでも、感情が薄いことでもなく、今の感情関係なく、自分が取る行動を決められることなのかもしれない。

 

だとすれば僕は、思っていたほどそこが上手ではなかった。まあ、それが分かったなら、ここから練習すればいい。

 

まだ答えが出たわけではないので、しばらく自分を観察してみようと思う。ということで、今日はこの辺で。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村