今日は特にこれといったネタが思い浮かばなかったので、最近ずっと自分の中で引っかかっていることを、そのまま掘り下げて記事にしてみようと思う。
というのも、段々、自分でもよくわからなくなってきた、あるテーマがある。それは、自分は本当に独立したいのだろうか、という点だ。

一時期は、あれほど必死になって追いかけていた目標だった。それなのに最近は、不思議なくらい、そのことを考えなくなった。
目標としての意味を失ったのか。それとも、今はたまたま心の奥にしまわれているだけであり、機が来れば、その熱はまた激しく燃え盛るのだろうか。
今日は、そのあたりを整理してみたい。
今のところ、熾火でもない。

先に結論から言うと、昔のようなどこか悲壮感が強かった、「絶対に独立して自分の校舎を作る」という熱量は、もうない。
だからといって、「この会社に骨を埋めよう」とも思っていない。なんなら、出世したいとも思わないし、自分が受け持つ校舎を増やしたいとも、全然思わない。
どの未来を想像しても、不思議なくらい他人事に聞こえる。つまり、どの未来であろうと、目標として目指すには、どうにも当事者意識が湧かず、熱が上がってこない。
例えるなら、「二年後の受験のために、今から必死に頑張れ」と言われているような感覚だ。もちろん理屈ではその通りなのだろう。僕だってそう指導することはある。
でも、自分の中ではどうしても、「二年後のことは、その時の自分が最適な時期に、そのとき持ちうる知識を持って最適解を出してくれるだろう」というところに落ち着く。
不確かなことを確定事項として捉えて、それに備えることに集中するのは、あたかも2年後に災害が来ると確信し、それに備えることに今を費やすことに似ている。
では逆に、それを否定するならば、僕は今この瞬間を全力で生きているということかと問われると、それもまた、少し違う。余力は確実に、残っている。
実際、今は教育相談の真っ最中で、過去最高密度と言っていいくらい面談を詰め込んでいる。昔なら間違いなく疲弊していた。最悪、鬱状態になっていたかもしれない。
かつて僕は、一日に何件も面談をこなせば、家に帰る頃には娯楽を含め。何もできなくなっていた。飯を食べることさえ億劫なほどに、疲弊しきっていた。
ところが今回は、不思議なくらい疲れない。「今日は自己ベストじゃないか」と思うくらい面談を続けても、以前ほど精神的な疲労を感じないのである。
これは僕がオトナになったこと、つまり大きな夢に魅力を持たない側へ堕してしまったことが、現象として起きている…ということだろうか。それならそれで、なんか嫌だ。
この状態、当事者意識を欠いた、必死さに乏しい、それでいて過去最高のパフォーマンスを出せている理由を考えていくと、一つ思い当たる構造があった。
それは「不満」と「理想」に対しての向き合い方だ。そもそも人が不満を抱くのは、理想と現実との差があるからだとされる。
ところが最近、その「理想」そのものが、自分の中で随分と小さくなってしまった。自分が掲げてきたそれに、本心では実は興味が無いことに、最近行きついたためだ。
以前はその理想に対して、現状が全く追い付いていないという不安を燃料に、その差をどこまでも詰めようと、あくせくしたり自他に怒ったりすることがあったと思う。
でも今は、「そんなに必死に追い掛けるものでもないのかもしれない」と思えるようになった。そうなると、不満を抱く余白もなくなる。猛烈なエネルギーも生まれない。
だから今の自分は、本当にベタ凪なのである。焦りもない。かといって諦めてもいない。ただ、目の前にある仕事を、きちんとやるだけ。そんな日々を積み重ねている。
その先で、もし「やっぱり自分の校舎を作りたい」と思う日が来たなら、その気持ちには素直に従えばいい。逆に、全く違う道へ興味が向くなら、それもまたいい。
あるいは、この仕事そのものを辞めるという結論に至る可能性だってある。でも、その頃の自分なりに考え抜いた結果なのだろうから、その決断も尊重してあげたい。
最近は、そんなふうに思っている。つまり、全然面白い結論ではない。でも、今の自分を言葉にすると、一番近いのはこんなところなのだと思う。
ということで、今日はこの辺で。