最近、自分の中にずっと居座っている、妙な問いがある。だがその前に、僕は今35歳なのだが、仮に25歳の頃の僕が、今の僕を見たらどう思うだろうかと考えてみる。
この答えは我ながら、別に悪くないと思う。もちろん相変わらず課題だらけだし、「お前そこ、10年経ってもまだ変わってないのか」と言われそうな部分もある。

それでも総合的に見れば、「まあ、ちゃんと伸びてるんじゃない?」くらいの評価は、25歳の僕からもらえる気がする。
仕事もそうだし、知識もそうだし、できることも増えた。10年前の自分と比べれば、それなりに遠いところまで来た実感はある。紆余曲折の人生を経ても来た。
―なのだが、最近どうにも、「じゃあ、このまま10年進んだ先にいるのが、45歳の自分の像でいいのか?」と考えると、妙にモヤモヤするのである。
過去を全て線で繋げば未来の自分が描けてしまう。そんな過ごし方で良いのか、と。今日はそんなことを書いてみたい。
10年年長の人に、10年かけて追いつくのは当たり前なのだけれど。

今の僕の身近には、自分より一回りほど年上で、立場も上の人たちがいる。社長だったり、経営者だったり、塾長だったり。
当然ながら、僕とは経験値が違う。身につけているスキルも、見えている範囲も、背負っている責任も違う。
だから、「自分もあと10年くらいやれば、あの辺まで行けるのかな」と考えるのは、別におかしな話ではない。むしろ自然だと思う。ただ最近、これが妙に面白くない。
「相手は10年以上先を歩いているんだから、差があって当然だろ」と自分に言えば、それは完全に正論である。
何を焦っているんだ。何を張り合っているんだ。身の程を知れ。・・そもそも、僕自身、冷静に考えればそう思う。先を進む人に追いつくことは、本来極めて難しい。
でも、そこで、「じゃあ僕は10年後に、今見えている場所へ着けばいいのか」と考えると、なんか嫌なのである。これは「絶対に超えてやる」みたいな闘争心とも少し違う。
もっと大きな会社を作りたいとか、巨大な組織を率いたいとか、そういう野心は僕にはあまりない。それこそ生まれ変わったと言えるほどの自己変革、それは要らない。
とはいえ、今の自分をそのまま10年分積み上げただけの人間になることには、妙な抵抗がある。この感覚が最近、自分の中で膨らみ続けている。
今の僕がやっていることの多くは、基本的には足し算である。昨日より一つ知る。昨日より一つできるようになる。失敗したら修正する。うまくいったら再現する。
毎日少しずつ答え合わせをして、「昨日の自分がこれなら、今日の自分はこれくらい」
と積み重ねていく。このやり方自体を否定する気はまったくない。
むしろ僕は、こういう積み重ねによってここまで来た人間だと思う。ただ、当然ながら、足し算を続ければ基本的には「今の自分を順当に育てた自分」が出来上がる。
それが最近、少し怖い。その意は、僕がたまに服を買っている会社の社長がかつて書いていたメルマガを読んで以来、より強くなってきている。
細かい表現は忘れてしまったが、僕の記憶では、行動を積み重ねているだけでは、過去の自分の延長線上にしか行けない。
だから、ときには足し算ではなく「掛け算」になるような経験を入れなければならない。そんな趣旨の話だった。これが、妙に頭に残っている。
毎日、イチずつ積んでいく。それは大事である。ただ、どこかで突然「×3」になるような経験をした人間には、足し算では永遠に追いつかない。
もちろん、人生はそんな単純な算数ではない。ただ比喩としては、今の僕が感じていることにかなり近い。…では、自分にとっての掛け算とは、何なのか?
ここが全然分からない。転職なのか。独立なのか。全く違う仕事を経験することなのか。未知の場所へ飛び込むことなのか。避けてきた役割を引き受けることなのか。
あるいは、そんな分かりやすいイベントではなく、もっと小さな何かなのかもしれない。そしてそれは既にどこかで起きているのかもしれない。
ただ一つ思うのは、過去の自分が積み上げてきたものだけから次の一手を選び続けている限り、未来もまた、その延長線上に収まりやすいということである。
だからといって、積み上げてきたものを否定したいわけでもない。むしろ逆である。10年前の自分から見れば、今の僕はそれなりによくやっていると思う。
だからこそ、その積み上げを土台にしながら、一度どこかで、そこから少し外れた経験をしてみたい。
「今までの僕なら、これは選ばなかったな」というものを、どこかで一つ混ぜてみたいのである。勿論、それが掛け算になるかどうかなんて、やる前には分からない。
×3だと思って飛び込んだら、×0.7になる可能性だって普通にある。それでも、「昨日の自分から順当に導ける今日」だけを何年も繰り返すより、そちらの方が面白く見える。
今の僕には、「10年先を居る人に、10年かけずに追いついてみたい」という気持ちがある。我ながら生意気である。経験してきた量も違うし、積み上げてきたものも違う。
ただ、3年とか4年ならどうだろう。今35歳だから、38歳とか39歳。40代になる前に、自分に対して、どこか誇らしい気持ちを抱いているときが来てほしい。
その頃に、「10年前なら、ここまで来るのに10年かかると思っていたな」と言えるくらいの変化を、一度くらい起こしてみたい。なぜそう思うのかは、よく分からないが。
競争心なのか、単なる焦りなのか。以前からぼんやり持っている「自分で何かやってみたい」という感覚が、また別の形で噴き出してきただけなのかもしれない。
あるいは35歳になって、「これから先も時間は無限にあるわけではない」という感覚が、少しずつ現実味を帯びてきたからなのかもしれない。
多分、その全部が少しずつ混ざっている。だから今のところ、結論はない。ただ、「今の自分をそのまま育て続けるだけでは、ちょっと嫌だ」という感覚だけは、明確だ。
そして、この妙な焦りを、僕はそこまで悪いものだとも思っていない。焦りに追い立てられて、手当たり次第に人生を壊したいわけではないからだ。
ただ、自分の中からせっかく、「もう少し違うところへ行ってみたい」という感覚が出てきたのなら、無理に蓋をする必要もないと思う。
むしろまだ体力もあって、失敗しても立て直せる余地がある今のうちに、自分の人生にとっての「掛け算」になり得るものを、少しずつ仕込んでおく。
今はそれくらいでいいのかもしれない。25歳の僕から見れば、35歳の僕はそこそこ頑張っている。
だったら次は、45歳の僕から、「35歳のお前、あのとき随分変な一手を打ったな。でも、あれで結構変わったぞ」くらいに言われてみたい。
何をするのかは、まだ全然分からないけれど。今は、このもどかしさ自体を一つのマイルストーンとして残しておこうと思う。
ということで、今日はこの辺で。