今日は、僕自身の悪癖について反省したい。それは一言で言うなら【饒舌】だ。これは僕自身の多動性や衝動性に根差す部分だと個人的には捉えている。
そして最近、その点について、気をつけなければならないと改めて感じる、そんな場面があった。詳しくは省くが、今結構、自分の言動を反省してクヨクヨしている程だ。

そもそも僕は、自他ともに認める超人見知りで、見た目に違わず普段は相手が誰であろうがあまり話さないタイプだ。
そのせいで「暗い」と言われることもあるし、そう評する人たちに対しては押しなべて「そうです!正解!」と僕も思っているため、特に思うことはない。
しかし、自分の中で「バチッとはまる」場面に遭遇すると、途端に何かしらが吹っ飛んで、結果話しすぎてしまう。
いわゆる「好きなことだけ饒舌なオタク」であり、多動性・衝動性の典型症状でもあることが、33歳の今も時折爆発したかのように発動してしまうのだ。
てことで以下、遠回しではあるが反省文を書いていく。
記憶力が良いことのダークサイド。

これはいくつか事例を紹介できるのだが、多動性や衝動性のある人間は、社会の成績が良いことが多い。ちなみに僕も、中学の頃は社会が一番得意だった。
社会のテストとは、知識を結びつけて記憶し、必要に応じて取り出す技能で点数が付くものだからだ。ADHDの特性があると、こうした連想ゲームには滅法強い。
僕自身、授業中に寝ていたこともあったため、幾分かの知識の穴はあったが、聞いていた範囲についてはさほど勉強せずとも高得点を取ることができた。
それほど、知識のつながりが途切れないのだ。これ自体は強みというか特殊能力のようなものとしてときに羨ましがられるが、当事者としては正直、愛憎入り混じっている。
この特性の問題点は、「ハマってしまうと、話し始めたら止まらない」という点にある。目の前の人が見えなくなり、迸る思いのままに言葉が一切途切れないのだ。
実際、今日、まさにそういう場面があった。相手がどう思ったかはわからないが、僕の言動を振り返ると、特性全開で話しすぎたことを、明確に自覚している。
この問題については、以前から指摘を受けている。2年ほど前、授業中の雑談が多すぎるとチクッと言われることがあったためだ。
保護者が求めているのは、僕の雑談ではなく、学力向上である。その辺りを取り違えて本末転倒な状態にならないよう、改めて講師としての自覚を持たなければならない。
今、僕はかなり深く反省している。とはいえ始末書を書くようなレベルではないし、話し始めると周囲が見えなくなるという傾向は、そもそも根本的に治るものではない。
だからこそ、もしそのモードに入ってしまったら、いち早く自覚し、理性の力でそれを制御する練習の方が必要なんだと思っている。
もちろん、話を展開させることが求められる場面では、この特性はむしろ強い武器となる。要は成魚によって、必要に応じて切れるカードの1枚にしたいのだ。
しかし、講師としては、話す時間が少なければ少ないほど、そして言葉の数が少なければ少ないほど、同じ内容が伝わるならば後者の方が優れた指導であると考えている。
今回の反省は、僕にとって重要なものだ。自分の矜持に関わる問題であり、心が強く反応しているということは、自分にとって大切なものを傷つけてしまった証拠でもある。
それは何なのかという問いから目を逸らさず、そしてこの感覚も誤魔化さず、むしろ受け入れて、分析し、愛でて、その果てで糧にしなければならないと考えている。
喋りすぎたってだけで大げさな、と思われるかもしれないが、話し過ぎたことによって蔑まれることは、僕らにとって何よりも恐ろしいことの1つなのである。
では今日はこの辺で。