昔書いたが、僕は和訳されたこの本を大学生の頃に買い、読んだことがある”はず”だ。だが筆者が苦心した後のはずの数学・理系用語に挫折し、一読して終わったのだ。
今僕は、正直言ってほぼ全て、新鮮な気持ちで楽しむことができている。読んだ記憶があるのは今のところ、ビール暗号とエニグマだけなのだ。
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これは一粒で二度美味しいということだろうか。でも訳書と洋書で2回金を払っているわけなので、単に2冊別々の本を買ったに同じということもできる。
とはいえ今の僕は、過去の自分が日本語で書かれていたのに挫折した内容を、英語で読んで、それを毎朝の楽しみにするところまで来れている。
読書週間も英語の勉強も、何事も続けてみるもんだなと、そんな好例だと感じる。てことで今週の感想ブログに入っていこう。
- 9月30日(月) 託された命運。
- 10月1日(火) 数の暴力VS数の暴力。
- 10月2日(水) 集結の副産物。
- 10月3日(木) 結局、ミスをするのは人間。
- 10月4日(金) 世界の果てまで、こうして歩いていきたいと思った。
- 10月5日(土) 仮想チューリングマシン。
- 10月6日(日) チューリングの春。
9月30日(月) 託された命運。

さらに強化されたエニグマのパターン解読に、ポーランドはなす術が無くなった。知恵ではなく、主に規模と予算の面の不足だ。
ヒトラーの台頭とその軍事作戦の巧みさもあり、ポーランドへの侵攻はもう間もなくという折、その命運を同盟国に託すことを決めたのだ。
密会を経て、復元されたエニグマのレプリカと研究成果はイギリスとフランスへ託された。ドイツがポーランドへ宣戦布告したのは、そこから数週間後の話であった。
10月1日(火) 数の暴力VS数の暴力。

ポーランドからエニグマのレプリカを託されたイギリスは、早速暗号解読のためのチームを結成し、秘密裡にその作戦を開始した。
集められた叡智の質、規模ともに、ポーランドのそれを遥かに凌駕する部隊が即座に誕生していたことから、当時のイギリスの国力が伺えると思う。
エニグマは回転盤を追加し、更に配線の組み合わせを増すことで、圧倒的な組み合わせの数という暴力を持ち、数学者を薙ぎ倒してきた。
それに対抗し得るには、これまた数の暴力が一番手っ取り早いのかもしれない。ノーガードの殴り合いみたいな展開、僕は全く嫌いじゃない。
10月2日(水) 集結の副産物。
イギリスのエニグマ解読部隊は、もはやルーティンとして、超難問に日々取り組み続けたという。
ドイツ軍が変更した鍵を傍受し、暗号文と照会しながらそれを打ち破る術を探る。時には過去の暗号文も参照し、パターンを探し続けた。
とはいえそれが全てというわけではなく、時には外でスポーツをして遊ぶなど、交流もあったのだという。
数学に秀でた専門家同士、アイデアを交換することもあったそうだ。なんというか、前向きな気持ちになるエピソードである。
10月3日(木) 結局、ミスをするのは人間。

再び力を増したエニグマに挑むにあたり、まず始めに武器となったのは、ヒューマンエラーの存在だった。
例えば戦争中という極限状態においては、オペレーターがキーをただ横に弾いただけの「鍵」もあり得るのではないか。
また、エニグマの仕組み上、回転盤の配列は前日と必ず異なるはずで、アルファベットも同じものから同じもの、あるいは真横のそれに置換することはないのではないか。
という風に推論を重ねることで、圧倒的な数の暴力が、パターンとして半分程度のものにまで減ることになった。
そして対エニグマへの挑戦は、ある男の活躍により、一気に決着へと動き出すのであった。満を持して、アラン・チューリングの登場である。
10月4日(金) 世界の果てまで、こうして歩いていきたいと思った。
アラン・チューリングは子供時代、とても内向的で、理科に非凡な才能と興味を見せたこと以外は、どこか華やかさに欠けた記録が並んでいた。
ただし幸いなことに、そんな彼にも、唯一の心許せる親友はいたそうだ。共に実験を行うなど、仲睦まじい様子だったという。
しかしチューリングの方は、それこそ「モノクロの世界が急にフルカラーとなった」ほどの大きな意味を持った出来事だったそうだ。
【仮面の告白】でいう近江と「私」のような間柄。ただ、チューリングはその思いは打ち明けられなかったという。
相手は結核のため、突如この世を去ったからだ。チューリングの人生にも、悲劇性という、魅力を醸成する部分があったようだ。
10月5日(土) 仮想チューリングマシン。

チューリングマシンとは?コンピューター・ソフトウェアの生みの親アラン・チューリング | パーソルクロステクノロジー株式会社
アラン・チューリングがそのキャリアを始めた頃は、クルト・ゲーデルによる恐ろしい理論が提出されたタイミングであり、時の数学者に激震が走った頃でもある。
ヒルベルトが提示した夢のようなものが崩れ去ったとも言えるこの理論を目の当たりにして、数学会はどのように方向を変えたのか。それは【素数の音楽】に詳しい。
さて。チューリングはこの頃、解決可能な問題か否かを考えるにおいて、「チューリングマシン」なるアイデアを創造し、それを論文にしたためている。
専門知識が皆無の僕には全く理解できないほど難解だが、これは1つの機械があらゆる演算を行うものを指すらしく、それは今現在のPCのことだと言えるのだ。
想像できれば創造できる、みたいなキャッチコピーを読んだことがあるが、これは言い得て妙だろう。この時点ですでに、チューリングの業績はすごく大きい。
10月6日(日) チューリングの春。
論文が認められ、教授職も得て、さらに同性愛もオープンな環境に出会えた。この頃がチューリングの絶頂期だったという。
もっとも、当時の彼は恋愛に勤しむ余裕が良い意味で無く、充実した日々を過ごせていたため、性的嗜好は二の次の条件だったらしい。
その後彼は暗号解読チームに召集され、数多の叡知が挑んでは屈していったエニグマ解読に取り組むこととなる。
そんな彼が学生の時分、不思議と惹かれているものがあったという。それは永遠の眠りをもたらす毒リンゴの話だ。
そしてこの伏線は、後に重大な意味を持つようになるのであった。
では今週はこの辺で。