今日は、久しぶりに休んでみた感想について、ひとつの記録として書き残しておく。具体的には、全く職場に行かなかったという意味では、実に6月半ば以来のオフだった。
このお盆期間は、校舎を開けても誰も来ないことが見込まれていたし、以前から遊びの予定も入っていたため、職場に一切足を運ばない日を作ることに決めていた。

その間はなるべく遊びに集中するよう意識して過ごし、当初の目的自体はおおむね達成できたという感触はある。やはり、休み自体は、とても楽しかった。
これまでと同じく、イベントが終わった当日や、その翌日の朝は、余韻もあってか「休むというのは良いものである」と、素直に思えた。
しかし、そこから時間が少し経った今、心の中に別の感情が浮かんできている。それは「恐怖」や「焦燥」といった、決して正の感情とは言えないモノたちだ。
今日はそれらの背景や詳細を、言葉にして分析していこうと思う。
逃避として休んでしまった、という感覚が拭えない。

具体的に言えば、この2日間の遊びによって、将来的に何か悪い影響が出るのではないかという、得体の知れないフラグを立ててしまったような感覚を抱いている。
もちろん、純粋に楽しかったと言っても嘘偽りはない。しかし、仕事に関する前進は何もないという事実が、今になって重くのしかかっている。
2日間をリフレッシュに充てたということは、その間自分は仕事の能力という意味ではまったく成長しておらず、かつ何も積み上げられていないのではないか。
そんな不安が今、はっきりと実感され、非常にまずい行動だったのではという疑念が強くなってきている。-言葉にしたらよくわかるが、僕は病なのではないか?
どうにも、「休めた」というよりも「休んでしまった」という感覚に近い。張り詰めていた集中状態に一瞬だけ耐え切れず、逃げてしまったような、そんな後ろめたさがある。
これが、それまでの僕がどれほど追い詰められていたか、あるいは集中がどれほど深かったかを示しているのかもしれない。そうだとしたら、多少は救いがあるが‥。
とはいえ、少なくとも今の僕にとっては「遊ぶこと」や「休むこと」は、自分が及第点を与えられる結果・実績を立てたうえでのハナシであると、よくよく実感できた。
自分が掲げた目標に届いていない以上、それらは可能な限り排除されるべき対象である。僕は潜在意識でそういう風に感じているようだ。だから罪悪感を抱くのか、と。
今回の休みによって、いわばゾーン状態が解除されてしまった感覚すらあり、またその域へ深く潜るためには、以前より強い負荷と意思が必要になる気すらしている。
次に休みを取る予定だったのは月末の3連休のつもりだったが、これについても、自分を許せる結果が出ていないのなら、丸ごと返上してしまおうかという気持ちがある。
やはり僕はどうしても、休み自体は確かに悪くないとは思うけれど、世間が言うほど「無条件で尊いもの」として受け取ることには強い抵抗を抱いてしまう。
今回は、連勤日数が異常だったのもあるかもしれないが、「休んだ結果、倍以上の疲労を後々に感じている」という感覚が、どうしてもある。
これ自体は真面目を通り越して、難儀かつ病的な性格ではあるが、考え方と扱い方次第では、きっと同時に、僕の強みにもなり得るはずだ。
人が休んでいるときに仕事をすることで、僕は人並みの成果・結果に辿り着ける。敗者に休息は無し。やはりこういう言葉の方が、身に沁みる。
今後も、僕自身に対しては、甘さではなく厳しさをもって、向き合っていきたい。改めてそんな風に思い直せた。
ということで、今日はこの辺で。