「ベンタブラック」という素材がある。これは何かというのを乱暴に言えば、人類が手に取れるものの中で、”最も黒い”素材(塗料?)”だったもの”のことである。
今は別のものが一位の座を奪っているそうだが、「とにかく黒いもの」の比喩として、僕にはこちらの方がしっくりくるので、この記事ではベンタブラックを用いたい。

さて。ベンタブラックという黒さで、何を例えたいのか。それは僕の労働観だ。これは、自分でも過剰とは思うが、とはいえスタンダードの範疇だろうと思っている。
高校野球の練習は大概のことよりきついし、自衛隊の訓練や実働となれば、それより困難が伴うものを探す方が難しいではないか。
かといって、高校球児は全国に12万もいるというし、自衛隊は22万人もいるそうだ。これらを異端と呼ぶには、あまりにも母数が多くないだろうか?
僕としてもそんな感じで、似た働きをする人が周りにいないというだけで、僕の労働観がバグり散らかしているとまでは、実はあまり思っていないものである。
ただ最近、古い付き合いの友人と飲んでいて、僕にとっての”普通”を話したところ、彼の顔が物凄く「引いている」のがわかった。そしてすごく、心配された。
そんなに僕はマズいことをしたり考えたり、しちゃっているのだろうか?ふと怖くなったので、この記事を通じて棚卸をしたいと思う。
- 僕が標榜する言葉は【敗者に休息なし】。
- 自分を発動させることが結局一番コストが低いので。
- 僕を徹底した”休憩アンチ”にした、過去のトラウマを述べる。
- 終わりに:これからも”一人が前提”な気がしてきて思うこと。
僕が標榜する言葉は【敗者に休息なし】。
ここ最近自分に一番刺さった言葉は何かというと、【敗者に休息なし】である。望ましい成果も出さないままに権利を口にするのはダサいと、結構本心から思う。
「休みが無い?でもそれはお前が結果を出さないからだよね?」と思うと、自分の中の甘い部分はすぐに黙る。そしてそれの方が、どこか前向きで救われる感覚もある。
強制されているわけではなく、いわばセルフブラック労働というべき働き方はずっと繰り返しており、今月は、1日の中に授業が無い日は、2日あるかないかになる見込みだ。
出すべき結果と、それを踏まえたらしなければいけない施策を思えば、家でゴロゴロ”する前に”やるべきことが明白かつ明確に存在していると言える。
それをスルーしたまま休日らしいことをするとか、僕としては全然楽しくない。魚の小骨を喉に刺したまま、美味しいご飯を食べに行こうとするものだ。
それを思えば、心の底から仕事のことを完全に脇において休みを満喫したのは、今年はお盆の2日間くらいしか心当たりがない。
だが、だからといって趣味もプライベートも充実だ!なんてキラキラした働き方という贅沢を言うには、あまりにも色々な前提が足りないとも納得している。
正直、休みを増やすより、厳然とした結果としての売り上げや僕の給料を増やす方がよっぽど自分にとっては楽しいように思う。
僕はやはり、週休2日も要らないと思っている。月休み2日くらいが、実はちょうどいいのかもしれないと、うすぼんやり感じてさえいる。
自分を発動させることが結局一番コストが低いので。
持ち回りで有給を取れる週がたまにある。僕はここ1年くらい、それを一切”無視”している。取らなければならないのではなく、取れるなら取ろうという位置づけだからだ。
その日を休みにしても、結局別のどこかが潰れるだけであり、休みの日数としては±ゼロである。そして有給をとればその分引継ぎなどの手間が出て、つまりマイナスだ。
それを考えると、休みを潰して休みを取るという、いわば穴を掘って埋めるだけみたいな不毛すぎる構図に他ならないので、わざわざ取ろうという気にならないのだ。
だが僕は、人の休みは絶対に死守している。1コマの授業のために出てくるといった動きを察知したら、代案を立てて、ときには自分が代打してでも、その人をオフにする。
例えば定休日に授業・開校してほしいと顧客から言われたら、大学生講師に依頼するか、自分が出るかで、とにかく他の社員の実働は増やさないようにしている。
結局、自分を稼働させることが、現状、客観的に見て、最も人件費が安い。手間暇などのことを考えても、どうしてもそうなのだ。
日給8,000円を払って校舎を誰かに開けてもらい、自分がオフを取って遊びに行くなんて、少なくとも自分がそうするのを考えると、僕には愚策にしか思えない。
一方、人には、「最近忙しかったですし、いいですよ」といった風に、事情さえあれば僕は簡単に代打を立ててのオフ取得を認める。
今のところ、このスタンスを取りながら、何か強い不満を覚えるとかそういうのは無いので、不思議っちゃ不思議ではある。
僕を徹底した”休憩アンチ”にした、過去のトラウマを述べる。
社会人1年目の頃、ちょっと忙しかった時期なのは認めるが、”社内規則で認められている”しと思って、普通に昼食休憩を取っていたことがある。
すると店内放送で名前を呼ばれ、持ち場に慌てて戻ったら当時のチーフに「ぶち殺しちゃろか!!」ばかりの怒気を孕まれて叱り飛ばされたのだ。
確かに、僕も空気を読めてなかったと納得と反省はできるのだが、当時はそれで完全に嫌気が差してしまい、休憩は”どうにかして取らない”よう振舞うようになった。
人に言われるまで休憩にはいかず、取っても飯だけ食って15分くらいで戻る。そんなのをしばらく続けた結果、僕は休憩という言葉を聞くと愛憎入り混じるようになった。
ただ念押しするが、僕は僕以外の人が満額で休憩を取ってくれることを、ずっと心掛けている。僕の順番は最後で良いという、ただそれだけなのである。
終わりに:これからも”一人が前提”な気がしてきて思うこと。
ここだけ聞くと、どれだけ自分を”犠牲にしている”のかと哀れに思われることもある。だがこれは、考え方次第じゃないかと思う。
キツイ部活の代名詞と言えば野球やアメフトだが、果たして彼らは自分を”犠牲にしている”のだろうか?そうではなく、キツイ、けど…の後に続くものがあるはずだ。
例えば、「これくらい努力しないと勝てない」とか、「好きなスポーツに打ち込めているから幸せだ」といった風に。まぁ僕はそのどちらでもないのだが‥‥。
単純に今の僕の人生において、”他にすることがない”だけだ。1日の大半を注ぎ込む対象として、仕事が一番簡単であり、かといって消耗に至るほどのものでもない。
やはり僕にはこれが”普通”であり、今年の夏に比べれば”だいぶぬるま湯になった”とさえ感じてもいる。次の休みが年末年始のそれになろうと、特にコメントはない。
僕の労働観は【ペンタブラック】なのか?その答えは多分イエスなのだが、僕の同僚も部下も多分これからできることはないので、別に問題でもないと思っている。
では今日はこの辺で。