【熟達論】の「心」の章や、 【リーダーとして覚えておいてほしいこと】を読んでいると、基本に立ち返ることの重要さがよく説かれている。
動揺したとき、見失ったとき、不調に陥ったとき、新しいことを試したのにハマらなかったときなど、自分の中心や軸からズレた時こそ、基本に戻ることが大事だという。
実を言うと、その手のスランプには、僕もしょっちゅう陥る。これは僕自身の置かれている立場や状況によるものだ。
時には講師、時にはカウンセラー、時には経営者、時には広報部と、一人で何役も演じているようなものであり、必然的に「心」からしょっちゅうブレてしまうのだ。
特に最近は、自分の授業・指導自体の能力について、もう頭打ちだと思うことが増えた。もっと才能ある人に譲り、自分は経営に専念したいとさえ思ってもいる。
だからこそ、一旦冷静になって、講師の基本に立ち返り、自分を見つめ直す時間を取ってみた。その結果何を思ったか。それは心の平穏だ。
以下、それを基にした記事を書いてみる。
”教える”とはなにか。
塾講師は全員そうだろうが、僕の指導は独学5割、研修5割でできていると思っている。先輩の下で修業する期間を経て、それと同時に自分で映像授業などで勉強をする。
その中でも特に読み込んだのが、安河内哲也氏の【できる人の教え方】だ。(元々この人の映像授業を高校生の頃に受講していたことが手に取った理由だ)
そこに書かれた基本的な所作、心構え、具体的なテクニックは、入社して数年は空で言えるほど読み込んで実践し、自分なりの工夫も入れて試行錯誤していた記憶がある。
流石にあの頃のような必死さ、忙しなさは落ち着いたのだが、と同時に、停滞というか、さらに磨き上げる努力を最近は怠ってしまっているようにも感じた。
本当にそうなのだろうか。僕は本当に、自分の才能の限界に至るほどの努力や勉強をしたと心底思えるほど、例えばこの本の教えを体現できているのだろうか?
そう思いながら、本当に久しぶりにペラペラとページをめくっていた。そして、非常に驚いた。読んでいると、色々と新しい気付きを得られたからである。
基本所作ひとつ取っても、自分ができていないこと、あるいは完全に無意識で常にできるようになっていたこと、色んな発見があった。
と同時に、僕の教えは徹底的にシンプリフィケーションできているのか、また教えたことは定期的に小テストなどを通じて再確認できているのか、色々と反省させられた。
流石に爆発的な伸び代を発見できたとまでは言えないが、まだまだ心掛け・言い回し一つで修正できる項目がたくさんあることに気づけて、それはすごく安心に繋がった。
「基本に立ち返ること」の大事さは、スポーツをやっていた過去があるだけに重々承知していたはずだったのだが、いざやってみると、ようやくその意味が体感できた。
羽生善治氏は、折に触れて簡単な詰め将棋をたくさん解くという。落合博満氏は現役時代、あえてスローボールを丁寧に打ち返していたという。
自分の中心を掴んでいる人は、自分なりのリトマス紙を必ず持っており、それを用いて都度自分の”ズレ”や”歪み”を発見して、即座に修正ができている。
僕におけるそれは、”授業の基本所作を見直すこと”なのかもしれない。自分で言うのもなんだが授業以外の業務に忙殺されている今だからこそ、見直しが要りそうだな、と。
最後に誰も居ない教室で板書計画を実際に書きながら、指導の練習をしたのはいつだっただろうか。たまにはそういう練習、ガッツリとやってみようかな。
では今日はこの辺で。