模範的な幸福像を、よくCMなどで散見する。例えば温泉旅館に独りで泊まり、翌朝にすっきりした顔で出て、電車に乗って帰っていく…のような。
子供の頃は、真夏の防波堤を散歩すると幸せだろうなとか、窓辺に持たれ、外から吹く風を浴びつつ読書をしたらさぞ満たされるだろうなとか、そう夢想した。

いわば静の幸せこそが、僕にとっても理想のそれであり、その状態を作る、あるいは自分から行くなどして、”浸ること”が大切なのだと、ずっと思ってきた。
ところが、30歳を過ぎて4年経ち、今年で35歳になるという節目になって、ようやく、”多分それは別に僕の幸福像に全くマッチしてない”と気づきつつある。
そしてむしろその逆ともいえる過ごし方をしてみたところ、今年の正月休みは過去に無いほどの密度で、充実した時間になっているから驚きだ。
ということで今日は、クセつよ極まりない、僕なりの幸福感を何かの参考になればということで書き殴ってみる。
僕は”したいことを次々としてるとき”が一番幸せなのだ。
改めて自分が心惹かれるものは何かを考えていたときに気付いたのだが、僕は「誰かが憩いの時間に”浸っている”動画」をあまり観ない。なんなら飛ばすことが多い。
むしろ、ギチギチに活動をして、その様子をテンポよくまとめたコンテンツがすごく好きだとわかった。つまり、僕が心惹かれるのは、「している様子」なのである。
楽しいこと、好きなことは”次々とする”一方、興味が無いこと、嫌いなことからは”徹底的に時間を取らせない”。その様子を見ていると、やはりワクワクする。
その神髄を仕事術としてまとめている記事もあった。だからこの正月は、それを参考にして、休みの過ごし方も徹底して細分化しつつ、消化することに重きを置いている。
昼寝をするにしても、4時間とか寝ちゃうと後に響き、後悔の念も湧くだろう。そう思って30分くらいに留めるようにもしている。
また、冬季講習中に唯一ぶっ壊れかけた腰をケアするため、ドラッグストアで腰痛ケアの商品を買いに行く、そのついでに散歩して、Instagramも更新し・・とも考えた。
そのいずれも、”停止”した時間は無い。するにしても、それは自分がそうするときちんと決めたうえでの時間じゃないと、僕はそこに勿体なさを覚えてしまうのだ。
ところで僕は、旅番組を観るのが好きだ。それは、日常から離れて、憩いの時間を静かに過ごせる様に惹かれるから・・だと思っていた。だが、実際はちょっと違うらしい。
旅とは、行ってみるとわかるが、結構忙しい。旅先で暇なんてことはそんなになく、なんなら寝不足・時間不足で追い立てられることもしばしばだ。
今自分がいる場から距離を空けたうえで、色んな充実した活動に身を浸せるとあらば、やはり旅というものは良いものだなとすごく感じられる。
さて。テンプレな幸福像は、やはり例えば静寂とか、退屈とか、そういう【静かでゆったりした】時間を称賛している。そして僕は、それが嫌いなのだ。
社会全体が共通項として持つ幸福をシェアしていない。それは孤独に繋がり得る点でもありながら、同時に自由を意味することでもあると思っている。
それが幸福と不幸のどちらを招くか、まだちょっとわからないけれど。では今日はこの辺で。