精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「無駄な仕事を生むな」VS「自分で考えて仕事しろよ」

労働環境に関する議論はとても盛んだ。真面目に有識者が話し合っているのと同時に、ただの口論と揚げ足取りみたいなやり取りが四六時中行われている印象である。

 

もちろん、無駄に働き過ぎという状況は、すごく不健全だと感じている。むしろ休みがないこと、滅私奉公することが美徳みたいな価値観は、とても危ないとさえ思う。

しかしこの最中において、ある興味深い対立軸が生まれているようにも思う。それは、怠惰は美徳派と、なんだかんだで努力するのは大事派の2つだ。

 

前者は「あくせく働くなんて古い古い。コスパ悪いことはやってらんねー」という感じの、どこか達観した目線で労働や人生を俯瞰しているのが特徴だ。

 

一方後者は、「結局、猛烈な努力が全て。コスパなんて眠たいことを言っている奴らは、その辺に置いていこう」という風に、すごく何かが滾っている。

 

どっちが良くて、どっちが悪いというのに、白黒パッとつけるのは困難だ。いや、不可能だと言い切っていい。これは永遠の問題なのではないか。

 

むしろ僕は、この両極端な主張の丁度いいところに落としどころを見つけて、21世紀の今における健全な努力を果たしたいと思っている。クソ面白くないが、そんなもんだ。

 

今日はそういう話をつらつらと書いてみる。

 

 

「無駄な仕事を生むな」VS「自分で考えて仕事しろよ」


ちょっと検索すればすぐにヒットするのだが、ブラック企業の論理を論破して、定時退社&有休完全消化」という実例を書いたブログが存在する。

 

筆者の口ぶりから判断するしかないのだが、会社から言われたことを100でやりはするが、それ以上は絶対にしないという一本筋を通して仕事をしているようだ。

 

職種は不明ながら、どうやら公務員ではなさそうだ。上司との軋轢はしょっちゅうで、なんなら浮いている状態だそうだが、意に介していないのだという。

 

そういった働き方を「カッコイイ!」「理想形!」と称賛する声がある一方、「独り善がりで本当に邪魔」と苦言を呈する声も見られる。僕はどちらかと言えば後者かも。

 

自分が雇う側になったという観点から見れば、仕事に邁進する人を見下すようなタイプの人間は、組織におけるただの癌細胞に見えてくる。

 

大手だったら良いのかもしれないが、中小には不要なタイプの労働観なのかもしれない。そこは考え方なので、ぶっちゃけどうでもいいというのが本心だが。

 

こういう人は大体、日本の将来を悲観するようなストーリーを持ち出して、ガムシャラに努力することのナンセンスさを強調してくる。

 

少子高齢化が進んだ衰退国で頑張ってどうするんだ?頑張っても足を引っ張られるだけで、何も良いことがない。だからほどほどが丁度いい。」という風に。

 

ぶっちゃけ毎日ワイドショーをザッピングしているなら、こういう思考になるのは至極当然だと思う。(逆に言えば、毎日昼間からワイドショーを見れるほど暇なヤツという意味にもなるが)

 

それはある意味メディアによるコントロールという面も否めないが、ある種のニヒリズムはこの辺で醸成されるのかなと感じている。もちろん他にも要因はあるだろうが。

 

一方、それと綺麗に反対の思考をするのが、自分で仕事を生み出してでも努力をし続けるタイプである。僕も立場としては、割とこっちに重きを置いている。

 

だが悲しいかな、全くセンスがない努力を猛烈に重ねるヤツがいると、実はこれまた組織にとって悪影響を及ぼすことがあるそうなのだ。

 

今は改装中だが、【脱社畜ブログ】においては、「謎に残業を重ね、定時退社をする存在を叱責するというゾンビのような社畜は、マジで厄介」という指摘もある。

 

徒労と努力の区別が付いていないと、どうしても「もっと効率を考えてよ・・」と確かに言いたくなってしまう。愛嬌が無い不器用な人、というところか。

 

やはりこれらを考えても思う。全く努力をしないのも厄介だが、努力をあらぬ方向で重ねて突っ走るタイプも、同じくらいに厄介なのだ。

 

これをすごくシンプルに解説したのが、ナポレオンの考え方だ。ソースは探していないのだが、彼は有能・無能について、こんな風に捉えていたという。

 

ナポレオン流の兵隊の適材適所の考え方をご存じでしょうか。
それは4つに分かれます。

 

①やる気のある有能
②やる気のない有能
③やる気のない無能
④やる気のある無能

 

以上の分類をナポレオンはこのように役割を決めたそうです。

 

やる気のある有能
カリスマ性と失敗をしてもくじけない気持ちを持っているから前線の指揮官や軍曹に。

 

やる気のない有能
出来るだけ効率よく上手くしようとするため仕組化することが上手く、幹部や軍司、戦略担当などに。

 

やる気のない無能
前線に送り込んで使い捨てる。

 

最後の「やる気のある無能」は何だと思うでしょうか。

やる気のある無能は「今すぐ殺せ」だったそうです。


やる気のある無能は、やる気があるから色々と行動を起こそうとしますが、それらが空回りして軍に問題を起こす可能性があるからだそうです。

 

時代だったとはいえ怖いですね。
しかしこれらの分類は会社組織を運営するにあたって、現代でも応用され参考にされています。(もちろん今すぐ殺せはないです!)

 

例えば

やる気のある有能→集団を率いるリーダー
やる気のない有能→業務のパターン化・標準化業務
やる気のない無能→業務前線での役割
やる気のある無能→無駄なコスト

 

ようするに昔も今も人材マネジメントを考え組織づくりを考えていたというお話です。

msjsenden.com

 

―ということで身も蓋も無い結論が、スッと出せる。有能であるなら、やる気があろうがなかろうがどっちでもいいというただそれだけなのだろう。

 

一方、無能であるなら、やる気があろうがなかろうがどちらにせよ害という、そういう感じらしい。しかも「ある」方が厄介度が高いそうなので、なおのこと救いがない。

 

僕は口が裂けても自分のことを有能だとは思えない。だからやる気がないくらいのスタンスで居た方が、組織にとってはマシだということになる。あまりにも悲しい。

 

だから、できるだけ正しい努力を重ね、少しでも有能とされる水準に近づきつつ、我武者羅と効率化のバランスを考えるというのが、僕の落としどころになりそうだ。

 

やっぱり結論自体は面白くないけれど、やる気だけの無能になったら(社会的に)killされてしまう世の中らしいので、そこへの恐怖をモチベに変えていきたいと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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