精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「不調のときは原点に立ち返るべし」というのは、”人生”でも同じ!!!

6月から9月にかけて、死ぬ気で働き続けた結果、綺麗に3ヶ月で過緊張モードは強制的に解除され、完全にバーンアウトするに至った・・という話を、度々書いた。

 

その後、それを反省し、自分の時間の使い方や取り組み方を見直した結果、ここ1週間はとても楽しく、充実した日々と時間を過ごせているという風に思っている。

 


ただ同時に、「なぜこのやり方をもっと早く見つけられなかったのか」と強く思う。もちろん後知恵バイアスではあるが、それくらい容易く気付けられそうな方法だからだ。

 

というのも今僕が取り組んでいることは、過去の僕が充実感や達成感を覚え、毎日を楽しいと感じていた時期にやっていたことを、ただトレースしているというだけなのだ。

 

今日は「不調のときは原点に立ち返るべし」というスポーツ等で教わる教訓は、実は人生レベルでもそうだよ、という話を、つらつらと書いてみようと思う。

 

 

人生は割と一筆書き。

 

岡田斗司夫氏のショート動画を観ていて、一つすごく得心したものがある。それは、「年齢を重ねると、これまでの人生の伏線が回収できる」という考え方だ。

 

当時は「黒歴史」とか「恥」と捉えていた記憶や思い出が、年齢を経ると、「あれはこういう意味があったのか!」と、オセロみたいに解釈が変わることが結構あるという。

 

この動画を観て以来、「ある程度の人間的成熟に、過去の検証が重なることで、人生総体の意味合いが大きく変わるのでは」という仮説を持つようになった

 

だから今回も、はっきりと不調を感じた今、何か特定の狙いがあったわけではないのだが、一度ガッツリと過去の僕を見つめ直してみたのだ。

 

すると、”今振り返れば”うまくいっていたと感じる時期、そうでない時期にはそれぞれ、一定の傾向や共通点があることがわかってきた


乱暴に言うなら、前者には言語化と計画があり、後者にはそれが無かった。言い換えると、あらゆることを頭の中にカオスなまま放置しているときは、うまくいかないのだ。

 

僕は”計画”を密に作り、それをできる限り守りたいというのが本心のようだ。アドリブは極力避けたいが、それが起こりそうな現場なら、それも想定しておきたい。


頭の中に淀みとして存在する認識を、言葉を用いて丁寧に言語化して整理し、それを次々と実行して完了していくこと。

 

どうやら僕にとっての楽しさそのものであり、かつ充実のトリガーになっているのは、この要素のようなのだ。

 

思い返せば、この傾向は小学生だった頃からすでに表れていた。例えば誰かと遊ぶ際も、「何時にどこへ行く」といった行程をあらかじめ決めてから提案していた。


そして中学・高校の頃になると、Yahoo!の路線図を使って時刻表を調べ、どの電車でどこまで行くかを詳細に調べて、まとめて、参加者に伝えるのが好きだった


大学生の頃は部活動の予定表や計画書を作る機会が多々あり、他の人が面倒がる中でも、僕はあまり嫌ではなく、物事の流れを決められることに喜びさえ感じていたのだ。

 

社会人になっても、友人との遊びの予定にまで、(ネタとして)詳細な計画書を作るほどであり、つまりこの性格・特性・行動は、人生を通じて一貫している。


つまり僕は「カオスが嫌い」な人間であり、「何をしてもいいよ」という自由すぎる状態が苦手なのだと改めて実感している

 

だからこそ、よく「休む時は何もしない方がいい」と言われるのに、僕の場合それがむしろ徹底して逆効果に作用することが多かったのも、すごく納得だ。

 

何も決まっていない状態とは、僕にとってはストレスに他ならないからだ。むしろ休日にも予定を組み、ある程度スケジュールを決めた方が、とてつもなく落ち着く。

 

実際、休日の予定をしっかり立てるようにしてから、過ごしやすさが格段に上がった。それは発明ではなく、過去の反省によって、ただ思い出しただけなのだが。

 

今の”人生の”過ごし方がどうにもしっくりこないときは、いっそ過去を紐解くことで、自分という構造のズレを見直せるかもしれない。


過去の自分の行動パターンの中に、今を整えるヒントが眠っている。そして何がヒントになるかは、人生の段階ごとに、大きく違うから面白い。本当にそう思う。

 

ということで、今日はこの辺で。

 

 

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