自分は何のためなら頑張れるか。この問いの明快かつ普遍的な答えを持っている人は、僕は稀有なのではないかと思う。
僕自身、この問いに確信をもって答えられるようになったのは、ここ最近の話だ。僕は僕のモチベーションの構造について、ある程度の言語化が出来ている。
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僕は実のところ、「これをしたらこうなれるよ」という未来報酬型のモチベーションがあまり機能しない。唯一の例外は大学受験くらいだと思っている。
むしろ、「なりたい自分になる」ではなく、「なりたくない自分にならない」ためなら頑張れるというのが今一番手応えのある僕のモチベ構造だ。
今日はそんな話を書いておく。
「こんな未来は嫌だ!!」
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この仮説に気付いたのは、僕が過去すごくやる気を持って頑張れたことや、今も継続できている習慣の起点はなんだったのかに思いを馳せたときである。
例えば高校受験の一番の動機は、詳しくは省くが「絶対同じ学校に行きたくないヤツ」と同じ学校に行かないためである。
また英検1級取得を志した理由も、「準1級はそこそこいるし、生徒にもいるから、そこで止まるのも面白くないな」というものである。
そいつと同じ学校という未来を引きたくない。そこでやめたら面白くない。―こんな風にどれもこれも、「嫌な未来にしない」ことが原点となっている気がしたのだ。
また、僕は断続的ではあるが筋トレを継続しているし、最近は独学だがスキンケアについて学びを深めているところでもある。
これはそうすることによってモテたい、というのではなく、単に身体も肌も醜いオッサンになりたくないから、である。だからこそ続くのだ。
こんな風に、僕はやはり、「こうはなりたくない」と心底納得できた時は、その努力を継続し、やり遂げることができると考えてよさそうなのである。
一方、途中で折れた目標は大体どれも、「別にそれが叶わなくても嫌じゃない」と気づいてしまったことが大きい。例えば彼女の存在もそうだ。
30代に入る前に彼女を作るにはどうしたらいいか、結構必死で考えて計画表も作って1~2ヶ月努力してみたが、ふと気づいてしまった。
「別にできなくてもいいな」と。そして彼女が居ない未来を想像してみたが、それの何が悪いのか全く分からなかった。だからその努力はあっさり捨ててしまったのだ。
こう考えれば僕の行動理念は割とキッパリしており、すぐに思い至りそうなものだが、気付くまでに30年くらい掛かってしまった。主観バイアスの強さたるや、である。
これは応用できるのか?
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そして最近実験しているのは、”意識的”に「それをしなかったらどんな嫌な未来が起きるか」を考えて、モチベーションをコントロールすることである。
例えば広報活動を頑張ったら生徒が増える・・ではなく、広報活動をぬかると生徒が減って校舎が潰れる・・と思った方が、より即座に、強く行動を起こせるように感じる。
こんな風に、ある程度解釈・認知を調整することで、狙って継続したい行動へ自分を引っ張れるように思うのだが、まだまだ実験の序盤の段階であるとも認める。
デメリットを考えても閃かないことなどザラで、仮に閃いてもそれが自分に実害あるものとしてメタに納得させられるかどうかは、正直運の要素が強いためだ。
ここはまだまだ仮説検証が必要なところだが、さらに精度よく自分をコントロールするためにも、腰を据えて向き合い続けたいと思っている。
では今日はこの辺で。