最近、Simon Sinek氏の『START WITH WHY』を再読している。元々英語の力を落とさないために、毎朝読んでいる本なのだが、その内容の学びの多さを、改めて感じている。
ページをめくるたび、ある重大なテーマを眼前に突きつけられているような気分になる。それは、「なぜ僕は、この塾という仕事を続けているのか」という問いである。

正直なところ、最近は教育業界全体に対して、一般論として、あまり明るい展望を抱けていない。特に地方なら猶更だ。
補助金制度の影響もあって、「意地でも公立高校に進学させるために塾に通う」という需要は、確実に減ってきている。
進学校を狙う層は、CMなどで抜群の知名度を持つ大手塾を絶対に選ぶ。となれば中間層にとって、学習塾という存在自体が「必須ではなくなりつつある」のではないか。
そう感じる場面は少なくない。となると、中小の塾が”存在する意味そのもの”が、薄れてきているのではないか。そんな疑念が頭をよぎることもある。
・・・その一方で、個人塾でありながら非常に強いコミュニティを形成し、経済的にも、人としても成功者のラインにあると断言できる人もいる。だからこそ、悩むのだ。
つまり僕は、わかり易く”ブレている”。そしてその動揺はどこから生じているのかを突き詰めていくと、簡単にして超難問といえる、一つの問いに行き着く。
それは、自分自身の仕事哲学の掘り下げが、まだまだ全然、足りていないのではないか
という仮説だ。
今日はその、端緒のさらに端っこともいえる、「はじめに」の一行目みたいなことを、一旦記事にしたためたいと思う。
「僕が講師でなければならない理由はなにか」

この問いに対して、これまで積極的に逃げていたつもりはさらさらないのだが、腰を据えて真正面から向き合ってきたかと言われれば、正直、心もとない。
当然と言えば当然だが、改めて自分に問い直してみても、簡単に答えが出るような問いではない。なんなら、「分からない」の一言で済ませることもできる。
だが、それでは意味がない。このテーマはあまりにも大きく、簡単に言葉にできるものではないからこそ、今後も少しずつ整理しながら書いていくつもりだ。
ただ、現時点で一つ、ヒントは得られている。それは、自分の不満や違和感といった負の感情を、ひたすらChatGPTに投げ続けていたら、ふっと心に浮かんできた。
それは今思い返しても、驚きと納得が入り混じった感覚がそこにある。その言葉とは、「俺は、俺の手が届く世界を守りたい」というものである。
もともとは、どこかのゲームのセリフだった気がする。だが振り返ってみると、この言葉は僕の人生の節々で、行動原理として立ち上ってきていた気がする。
そして、この価値観に反する言動を取ってしまったとき、僕は自分自身の弱さと半端さに対して深い絶望や後悔を覚えるほど、大きく落ち込んできたものだ。
それだけ、自分の中ではより心の奥底に根差した、強く、深い感覚なのだと思う。もちろん、これがすべてだとは思っていない。まだ輪郭が見え始めた段階にすぎない。
そもそも「自分の哲学」というものは、完全に言語化できるものなのかすら分からない。末那識ともいえる意識より深いところに潜むそれは、まだ全然見えてこない。
それでも、この問いを曖昧にしたまま、中途半端な覚悟でこの仕事を続けるのは違う。
だからこそ、逃げずに、徹底的に向き合い、見つめ切ってやろうと思っている。
その結果、もしこの仕事を辞すことが答えになってしまったとしても、それはそれで、僕の人生にとっては大切な決断だ。そういう覚悟まで、決めている。
では今日はこの辺で。