「疲労時ほど、ルーティンにこだわった方がいい」と、最近つくづく感じる。というのも、あるあるネタだと思うのだが、疲れている時ほど、人は余計なことをしたくなる。
例えば、「もっと栄養のあるものを食べた方がいいんじゃないか」とか、あるいは「血流を良くする全身ストレッチをYouTubeで探してやってみよう」とか。

自分でいうなら、「軍人が用いる、疲労回復に超効く睡眠体位」みたいなものを、急に調べて実践したりとか。もちろん、それら一つ一つにも、効果はあるのかもしれない。
ただ、僕自身の経験上、「試した結果劇的に変わるもの」は、本当に少ない。仮に効果があったとしても、それはたまたまハマっただけ、くらいに考えている。
むしろ問題なのは、そういう新しい方法を調べたり試したりしているうちに、本来なら睡眠に回せた時間がどんどん削られていくことだ。
あとから振り返ると、「いや、普通に寝た方が良かったな」と思うことが、結構ある。理性的に考えれば、それらの工夫はつまり徒労なのだ。
それもあって、疲れている時ほど、人は余計なことをしたくなるし、これは理性で抗うのが厳しいいわば習性のようなものだと理解するのが丁度いい、と感じる。
だからこそ、毎回「これは余計なことだからやめよう」と意志の力だけで制御するのは、正直かなり難しい。
というより、疲れている時点で、そもそもその“意志力”自体が削れているのだから、こちらが状態異常なのにそれなりに強い敵に挑むような不条理さがここにはある。
だから僕は最近、「考えなくても休息に入れるルーティン」を作り、守ることの重要性を、ひたすら強く感じている。
特別感もなく、善悪の判断もなく、「そういう流れだから寝る」という状態にしてしまう。年を重ねるにつれ、これがかなり大事なのではないかと思っているほどだ。
以下、それを基にした記事を書いていこう。
あれもこれも…しない!

実際、ここ最近もかなり忙しい状態が続いている。ゴールデンウィークが明けてからも、相変わらず仕事は詰まっているし、細かい抜け漏れも少しずつ増え始めている。
加えて、次の休みが10日後みたいなことも普通にある。本来なら繁忙期こそ、「帰ったらすぐ飯食って寝る」が最適解なはずだ。だが、なぜか余計なことをしたくなる。
「今ここで寝たら、逆に疲れが残るんじゃないか」とか。「実は、こういう時にこそやるべき“特別な回復法”があるんじゃないか」とか。
そういう“聞こえのいい言い訳”を、脳みそが延々と生成し始める。でもこれは、多分ただ単に、疲れて判断力が落ちているだけなのだ。
勉強しなきゃいけない時に、急に掃除したくなるのと、構造としてはかなり近い。論理的に考えれば、「勉強する」以外の選択肢なんて、本来無いはずなのに。
それでもできないのは、休息までの導線がまだ固定され切っていないからだと思う。そのときそのときの自分に、余白を残していることが原因の一つなのだ。
だから最近は、「疲れている時ほどルーティンに従う」という感覚を、かなり大事にしたいと思っている。
正直、今もまだ完璧ではない。この記事を吹き込みながらも、帰り道にコンビニへ寄って酒を買おうとする自分を、ずっと意識の力で止め続けている状態だったりする。
しかも厄介なのが、僕の意識が用意してくる理由が全て、もっともらしいそれになっていることである。
「今かなりキツいんだから、少しくらい緩めてもいいだろ」とか。「この疲労した状態に、ダイエットまで重ねるのは流石に厳しすぎるだろ」とか。
ただ、こういう時に「今日は特別だから」とやり始めると、多分どんどん崩れていく。なので今は、「帰って寝る」という流れだけは、なるべく崩さないようにしたい。
実際、今日もなんとか耐えて、もう家までの道に入れた。ここまで来れば、今度は逆にコンビニへ戻る方が面倒なので、もう勝ち確である。
やはり、「あれこれやりたくなっている時ほど、単純に疲れているだけ」という話は真理のようだ。
だから、そういう状態に気づいた時こそ、「ルーティンを見直すタイミング」なのかもしれない。それを学べたと、ポジティブに捉えておこうと思う。
ということで、今日はこの辺で。