今を時めく成功者とされる人は、人を巻き込むカリスマ性が本当にすごい。
ただしその方法は様々で、『俺についてこい!』というタイプもいれば、ワザと隙を見せることで『しゃーねーなw』という感じの助力を貰うタイプもいる。
どちらにせよ、こういう人たちはバンバカと結果を生むので、世間から羨望の眼差しを受けることがヒッジョウに多い。
―となれば、その力が無い人はどうなるのか?想像に難くないが、人によってはそれを悩み、ヘンな方へプライドを折ることもあり得るだろう。
だが、こういう人を引っ張る能力は、実は天賦のモノである可能性が極めて高い。つまり、努力しても、結構限界は近い可能性があるのだ。
―では、そういう人は『落伍者』として生きねばならないか?いやいや、そんなアホみたいな話はありません。
巻き込むのが苦手なら、積極的に巻き込まれればいいんです。
今日はそんなご提案です。
どんなにカリスマ性があり、どんなに企画を立案する力があろうと、賛同する人が居なければ実は何も結実しない。
つまり多くのカリスマは、賛同者もといNo.2、さらに言い換えれば『ファン』に飢えているのだ。(一人でもやったるぜ!という人も多いけどね)
―となれば、『やってみたい人!』と手を挙げた人に、『はい!』と飛びつくのもまた、一つの面白い人生の歩み方だと言えないだろうか?
そう考えれば、得意でもないのに無理して自分が企画をバンバン立てる必要は、別に無いとわかる。オモロイと思ったら乗る。そういうスタンスでも良いじゃない。
その内『面白い企画』に対する嗅覚や共通点も見えてくるだろう。自分が立案するのは、そういう経験値や能力のストックができてからでも悪くはない。
昆虫が好きな友人の『カブトムシを採りに行こうぜ』という誘いに、とりあえず乗る。行ったことが無いカラオケのお誘いにも、とりあえず乗る。
結果、自分に全く合わないとわかることもままあるが、それはそれで一つの収穫だ。自分の人生から無駄を削ぎ落す感覚に近い。
ってことでもう一度言うと、計画を立てる人が無条件にエライなんてことはなく、それにノリよく乗っかれる人もまた、生きる上でトクをするのだ。
だから僕は、自分が立案することもあるが、人が何かを組んだ時に一番最初に名前が上がるよう、日々関係性を築くことは意識している節がある。
打算と言えば聞こえは悪いが、要は退屈が嫌いという話なのです。今は激務でそんなことに思い馳せる暇すらありませぬが。
では、とりとめがなくなってきたので、今日はこの辺で。