『学ぶ』の語源は『真似ぶ』だから、人の模範が一番成長を促すのだ!!!
―という手垢だらけの格言がある。
これに関して僕は、『まさにその通り』だと感じており、法に触れない程度にあらゆることをホイホイとパクらせていただいている。
だがその一方で、『人の真似とか、プッ』みたいに斜に構えて、ゴーイングマイウェイを貫く人もいる。それはそれで、僕に迷惑は掛かっていないので好きにしてほしい。
とはいえ、後者が『頭角を現す』のは、ぶっちゃけ発想がぶっ飛んでいるなど、生来の才能が開花した場合にほぼ限定されている気がしてならない。
つまり、『よくてそこそこの才能』の人間が資本主義社会であらゆるスキルを身に着けようと思ったら、そんな迂遠なことは出来ないという話。
ってことで今日は、こっそり生徒にもオススメしている『徹底したパクリ』のススメと、簡単な実践例をご紹介してみようという所存である。
マネにより一気に割愛できること。
まず、先人の教えを丁寧にトレースすることで、何を得られるかを考えたい。
僕が思うに、それは『最善の形へ至る最短ルート』と、『一足飛びな知識の吸収』だと思う。
例えば、僕はたまに筋トレの紹介動画を観ている。
それを見ていると、割と多くの人が『腕』を鍛える種目だと考えている腕立て伏せは、実は『胸と肩』に効くとわかるなど、結構発見があって面白い。
こういうのはいわば『属する世界によっては常識』とされることであり、労力を傾けて再発見するに値するかマジダウトな事柄である。
僕はこういうのをさっさと習得し、次に行きたいせっかちマンなので、人の教えが存在するものはマジで抵抗なく教わるようにしている。
すると、それにくっついてくるのが、『ガチで必要な最低限の知識』だ。何を学べばいいかわからなくても、とりあえず何があれば良いかがわかる。これはデカい。
だからこそ僕は、特に数学とかにおいて、まずは教科書通りの解き方はもちろん、それを得意とする人の解き方をパクってみるようにとは、強く伝えるようにしている。
抵抗がある人は、まずは良いからパクってください。
―とはいえ、その辺が性格として嫌な人もいると思う。根が真面目なのか、そういう教育を受けたのかは知らないが・・。地力に徹底してこだわる感じ。
実をいうと、それ、不可能です。例えば授業とは講師による知識の伝授であり、それを演習で使った瞬間、それは真似でありパクりだ。
―それに、パクってほしくないのであれば、自分の知識・経験・技術をネットとかにそもそもシェアするわけがない。だから、参考にして悪いことは何一つない。
だからまずは何より、敷居が低いところから真似してみることから始まるのだ。
オススメなのは、料理動画。普段料理する・しない関係なく、真似したら得した!という経験を得られるからだ。コストもほぼかからない。
例えばこないだ、以下の動画を真似して『漬け丼』を作ったのだが・・・・。
めっちゃくちゃ美味くて、ラクで、本当に得をした気分だ。ぜひどうぞ!
そもそも、オリジナルは模倣から生まれると思う。
あとは僕の持論。ここまで技術が進歩し、かつオープンソース化が進んだ今、果たして『オリジナル』にはどこまで価値があるのか、たまに考える。
余談だが、『オリジナル』とは英語で『独創的な』みたいな意味がある。これは別に、『独りが全てを創造した』みたいな意味ではない。
それを考えると、やはり全てを脳内で抱え込み、独力で考えるのは迂遠だなぁと思わされる。
人のアイデアを独自の観点で組み合わせ、新しいアイデアに昇華させる。これもまた立派な『オリジナル』ではなかろうか?
となれば、やはり如何に多くの考えを蓄えるかがカギだ。1つ1つの習得に時間をかけていると、単純にタイムアップがすぐに来る。
やっぱり、臆面なく『真似』ができる人は、この世において最強な人たちだと思う。
―ってことで、『真似』について私見をべらべらと書いてみた。オリジナルにこだわって変な型になるくらいなら、いっそ真似してどんどん吸収してしまおう。
そんな提案をもって、今日は終わりとする。