高校生の英語の授業を担当していると、生徒は違えど似通った愚痴がたくさん飛んでくるわけで。
『こんな英語使うんですか!?』とブーブー言われたら、『関係代名詞は英字新聞とかで頻出ダヨ』と返す。
『何がテストに出るんですか!?』とグチグチ言われたら、『ぶっちゃけ全部だから狙い撃ちしない方がいい』と告げる。
こんな風に、僕は不満についてはスルーしたり、いなしたりというスタンスを徹底している。だって、受け止めても誰も幸せにならないし・・。
でも、だ。この質問の本当の闇については、実は重々承知している。
学校で渡されるワークが不親切なまでに難しいのだ。
例文の訳が無いとかデフォルトであり、やたら難しい単語をふんだんに使ったり、説明の日本語が異常に固くて読むのに難儀したり。(『非制限用法』、とかね)
予習を薦めておきながら、全力でそれを阻むかのような施策。一応学校配布のくっそ分厚い参考書はあるが、わかり易いかどうかで言われれば疑問である。
今日はそんな、鬼難しい学校ワークとの付き合い方について考えたい。
学校で渡されるワークが鬼のように難しいシンプルだけど理不尽な理由。
予備校あるあるでもあるのだが、ぶっちゃけそれらが作成するテキストや模試の大半は、かんなり難しい。
理由は、『簡単だった~』とか、『本番のより楽だった~』という評判は、予備校の沽券に関わるからだ。要は、ナメられたら終わりなのだ。
それに、そういう教材で予習組を叩き折っておけば、『どうだ、授業を聞いたらわかるだろう?』という感覚を抱かせることもできるというお話。
まぁ、ビジネスという目線だけで考えたら合理的ですわな。
それは、学校での教材も同じ。要は、テキストが簡単すぎると、みんな解けちゃうので、学校の先生の仕事が無くなってしまうのだ。
学校の先生のメインの仕事は授業である。その必要性を生むためにも、教える前の時点で教科書が全部できてしまったら困るのだ。
・・・正直、そうやって『予習してもできひん』という状況のせいで脱落者が大量に生まれ、補講等のケアが必要になっているという矛盾も感じるのだが、まぁいいや。
ということで、高校の教科書がわかりにくい理由の(たぶん)一つには、学校の先生の仕事を確保するためという面があると思えてならない。
わからないからしんどい人は、教科書ガイドや参考書を買ってね!という商売にもなるため、教材が難しいことによって生まれる市場は、結構デカい。
ま、これ以上論を進めたらただの陰謀論者なので、この辺にしとこう。
ってことで、そんな鬼のように難しいのは『仕様』という教科書とどう向き合うか、そんな話を以下書いてみましゅ。
ツールに頼れ!
ぶっちゃけて言えば、素直にツールに頼りましょう。難しい本をそのまま読めるのは、厨二的にはカッコいいが、非効率極まりない。
江戸時代とかでも、難しい書物等にはそれを解説する講師が居たという話。別に頼ることは悪でもないし、それでマウントを取られても『だから何?』で良いのだ。
一番に浮かぶのは参考書だろうが、例えばネットの記事でも、YouTubeでの授業動画でも、私塾でも、頼るツールはなんでもいい。
プライドを捨て去り、選択肢を広く持てるようになれば、一気に可能性は膨らむ。せっかく難しいワークを使ってんだから、こういう考え方の練習をしときましょう。
そんな提案をもって、今日はこの辺で。