次の休みは山でキャンプしながら、どういう塾を作ろうかという【夢】の部分を考えようと思っています。中元です。
はい。春季講習という魔の期間の終わりも見えて、かつ未決定の個別授業のマッチングというめちゃ大変な業務も、やっとこさケリがつきそうなところまで来れた。
その最中身に染みて感じたのだが、こちらの仕事は提案であり、それを受けるかどうかまで気に病むのは愚策であった。
今日はそういう話を、なるべく普遍的な教訓に書き換えて、ご紹介する。
小さなことにくよくよしろよ、ただし、気に病むレベルにまでいくんじゃねーよ。
心をへし折ったときにタイトルで買った【憂鬱でなければ、仕事じゃない】という本が好きで、3か月に一度は読み返すようにしている。
その中に、「小さなことにくよくよしろよ」という教訓がある。小事を軽んじる人間に、大事を成し遂げられるはずがないという意味で、至極その通りだと思う。
しかし、最近読み直した際、あることに気付いた。僕は完全に、その意味を取り違えていたのだ。正確には、病的なラインで自分に課していた、という具合か。
小さな口約束も守り、発言ひとつにも気配りをする。これそのものはもちろん尊いし、絶対にそれが正しいのだが、それが行き過ぎるとどうなるか?
相手の顔色を常に伺い、そして相手の反応を常にネガティブなものだと想定し、何重にも次善策を用意しなければ動けなくなる。まさに今の僕だ。
「この提案は夜遅いから、何言ってんだと怒られそうだな・・」といった具合に、基本ネガティブな反応を想定し、全ての物事を考える始末となる。
特に多忙の中で心が弱ってくると猶更だ。繰り返すが、こちらの仕事は提案までであり、受けるかどうかは相手の課題なのだ。
もちろん相手の都合を全部無視した、こちらの事情全振りの提案は論外だが、100点の解答ができるまで答えを寝かせるのも失礼である。
以後、この辺りのGoサインを出すライン、もう少し下げようかなと誓った日々であった。
想像力は大事だが、無駄なラインまで考えすぎない。
それに、想像力は大事とはいえ、考え抜いても無駄な領域まで考えるのはクソ無駄な時間と労力である。
例えばプロの棋士でも、10手先まで読むことはできないというのが、【決断力】の中に書かれていた結論であった。
ある程度見切りをつけたり、未知の世界に覚悟を決めて飛び込んだりという風に、そこまできたら「そういうもの」という程度に捉えて、あまり考えすぎないのだという。
これははっきりと、今回僕が苦しみ倒した【提案】の原因に関係する。まずは感情論に近い選択肢や未来、リアクションは、起こらないと想定して切り捨てるべきだった。
例えばこんな提案をしたら「ふざけるな!」と怒られるかもしれないという未来は、そもそも考慮にすら入れないのだ。まぁ、当然のように思えるけど。
そしてざっくり、第2案・3案くらいまで用意したら、それでオシマイ。とっとと打診を入れる方が良いのだ。
第2案が断られたら・・という未来は、それが起きた未来の僕が考えればいい。読むのにも限界がある。
複雑怪奇に絡み合った要因全てを読み切れるなんて離れ業は、ゲームと小説の世界だけなのだ。
そこを履き違えないようにしたいところである。
終わりに:僕にはまだ”したたかさ”が足りない。
ひっくるめれば、僕にはまだしたたかさが足りないのだ。これから【独立】を本気で目指すなら、この程度の交渉で苦戦するわけにはいかない。
それに、プロの棋士から圧倒的成果を出すビジネスマンまで、その共通するところは、正解を読む力ではなく、結果選択を正解にする力である。
"見切り"。もう一つ先の次元に行くために、僕に必要な思考。しっかと身に着けていきたいと思います。
では今日はこの辺で。