スーツのジャケットが3分の2、穴が空いたり破れたりしている、貧しい中元です。
はい。正式に辞令が出たわけではないが、僕の昇進は再び先送りとなった。もうこれ以上待てないので、こちらからケジメをつける的な話は、こないだ書いた。
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そうやって自分の考えを固めていっている最中なのだが、ふとある本に書いてあった一節が、ここに来て気になるようになっている。
それは、【確証バイアス】だ。これが何かというと、ある対象について、それに有利な情報ばかりが目に入ったり、不利な意見を無視したりする意識のありようと言える。
「あの子は俺のことが好きに違いない!だって、目が何度も合うんだから!」というややキモいロジックは、この確証バイアスを端的に表した例だと言える。
ではなぜ、このバイアスが今になって気になっているのか?それは、自分がそれにハマっているのではと、ふと不安になったためだ。
昇進が見込めない以上、最終的には独立を目指す。これはブレないし、ブレさせない。だが、この判断に際し、会社側の事情を考えたかと言われれば、多分考えてない。
もしかしたら、僕という個人の人間的な弱点がそこに潜んでいるかもしれない。であれば、今のうちに認知しておかないと、将来のリスクに繋がり得る。
ということで今日は、ある種幽体離脱をして、他人事として自分を観察しながら、僕を校舎長にしない方がいい理由について書き殴っておこうと思う。
尚、「能力不足」という帰結は、解像度が低すぎるため、今回はそれで片づけることを全力で避けることとする。
感情は込めない。淡々と指摘する。そう念押ししたうえで、以下本題である。
大体、降格人事が伴うから。
まずは現状を分析する。今のところ、各校舎に校舎長が1人ずつ配置され、かつそれでも僕を含む肩書のない人間が1~2名いる、という感じだ。
となれば、完全に人詰まり状態であることから、僕を長に上げることは即ち、誰かを降格させることに等しくなる。(権限の縮小も、広義では降格に等しいだろう)
そしてこの降格人事は、なかなかに法律的に厄介なところがある。満たすべき条件も重たいし、違法と判断されたときの処分も重たいのだ。
例えば、誰かを降格させようと考えたら、必ず事前説明を入れて、弁解の機会も設けて、かつ改善がみられるか経過観察をする期間も求められるという。
いわば執行猶予のようなものであり、切羽詰まった状況で、かつ短い間であれば、いくらでも表面を取り繕うことなどできるだろう。
それでも改善が見られないという本当に終わった人が初めて、法律的に不備の無い状態で降格となるのがリーガルな話なのである。
―となれば、僕の昇進は、その手間とのトレードオフだ。そして現状、手間の方がメリットを上回っているということだと考えたら、論理的にはスッキリする。
僕の勤める校舎は、どう見ても外資系企業とかベンチャー企業みたく、入れ替わりが前提の組織というわけではない。
それを考えれば、校舎が増えるわけでもない手前、無理矢理僕の肩書を上げたところで、会社が得られるものは特に無いということである。
雑用をフォロー・サポートする人がいなくなるから。
まだ僕自身ピンと来るところは少ないのだが、リーダーにはリーダーの仕事があると言われる。
本来はその役目に集中する時間を確保するという大義名分で、細々した雑用は部下にガンガン振ることが許されるというカラクリのはずだ。
例えば、スーパーの店長が延々と商品棚を整理整頓しようもんなら、人員管理や経営戦略の立案といった部分がおざなりになり、遠からず店が潰れるだろう。
―となれば、僕が昇進した未来を考えると、一つ厄介な問題が浮き彫りになる。いわばそういった細かい仕事をやる人が、いなくなってしまうのだ。
全員がリーダーの仕事に集中すれば、根幹の部分がどんどん腐食し、いずれ壊れる。そこを見つめる人もまた必要だ。(そこも見てこそのリーダーだろうという意見はさておき)
これは僕が特殊なのか、他の人が特殊なのかは知らないが、僕はいわゆる雑事といった部分をルーティンとして実施することに、何の抵抗も無いし労力も使わない。
掃除をしなさいと言われたら、する。紙ごみを束ねなさいと言われたら、する。草むしりをしなさいと言われたら、する。
しかし周りを見渡してみると、それができる人とできない人、結構はっきりと分かれている。そして僕は、ヌケモレが激しい人のフォロー役に回ることがかなり多い。
その役割を免除してしまうと、防ぎきれないヌケモレによるダメージが発生するようになる。とはいえ免除しないなら、僕がリーダーである意味と必要性が無くなる。
歪であることは間違いないのだが、それが問題として実際に存在する手前、ウダウダ不満を言うばかりでは、解決からどんどん遠ざかってしまう。
ここを解消するには、別のきめ細やかな仕事ができる人を連れてくるか、システムを見直して仕事を減らすか、現校舎長に研修を繰り返すか、だろうか。
いずれもすぐに実行できて、かつ即効性がある・・・とは言えない施策ばかりなので、短期勝負ではないと腰を据える必要がありそうだ。
顧客が不安になるから。
実例なのだが、とある塾で校舎長が交代となった際、前任者を慕う生徒ががっぽりとまとめて退塾したという話がある。これもまた怖い話だ。
その校舎の顔役であった期間が長ければ長いほど、こういった人離れのリスクは高まっていく。そして現状、全員が全員、顔役を何年もずっと務めているわけで。
一方僕は、実はパンフレットに名前が登場したことすらない。外部から見れば、僕がそこで働いているということは、誰も知り得ないという状態なのだ。
正直、規模が大きい、あるいは拡大中の企業であれば、名前が出る従業員の方が、圧倒的少数派だろう。しかし、今の規模の校舎でそれを当てはめるのは、如何に。
ただここもまた、仕方のない話っちゃ話だ。顧客を無駄に不安にさせるのもまた、企業として避けたいリスクではある。
僕はまだまだ、この要素を破ってでも登用したい人材ではないということなので、これは事実として解釈し、逃げずに受け止めたいと思う。
終わりに:ではこれを踏まえて何をすればいい?
―これを踏まえて、どうすればいいか。ぶっちゃけ詰んでいるので、外に出て別の土俵を作り、そこで勝負をするしかないという思いが増々強まってしまった。
僕はもしかしたら、まだまだ【確証バイアス】を排除できていないのかもしれない。しかし、完全に呑まれているわけでもないと思う。それでも、ここに辿り着いた。
腹を括ると言えば格好いいが、要するにそうでもしないと来年も再来年もこのままであり、それを我慢できるかと言われれば、絶対無理というただそれだけなのである。
感情的に考えても、感情を排して考えても、たどり着くところは割と同じ。真理ってのは、意外とこういうものかと、なんか納得させられてしまった。
ということで、今日はこの辺で。