悩みが大きくなると、不思議と人は近視眼になる。目の前のことばかりが気になってしまい、自転車操業へ自分から突っ込んでいくかのように。
ボウリングであれば、真ん中を狙って一発で10本倒した方が楽なんてのは、誰でもわかる。だが僕らは焦ると、端から一本ずつ倒すかのような行動に出がちだ。
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こういうときに必要なのが、根源から問い直す力、もとい純粋な視点だと言える。客観的を突き詰めると、子供のような無垢な疑問に辿り着くのかもしれない。
本書の読み直しも、あと2週間くらいで終わりそうだ。その果てに僕はどんなことを再発見するのだろう。建設的なヒントであることを願って止まない。
では以下、本題である。
- 3月17日(月) 安定をぶっ壊せ!
- 3月18日(火) 報酬というインセンティブ。
- 3月19日(水) 白か黒か、灰色か。
- 3月20日(木) 「俺は知ってるw常識だろw」という発言のイタイタしさはどこからくるのか?
- 3月21日(金) 知ってると思った瞬間から停滞が始まる。
- 3月22日(土) 予測を過信することなかれ。
- 3月23日(日) 知らない状態に常に自分を置く。
3月17日(月) 安定をぶっ壊せ!

本書の最後の方には、別の書籍にもまとまっている、Freak Economicsのブログ記事の抜粋が乗っている。その中に、「終身雇用クソくらえ」とでもいうべき話がある。
クビにならないという安心が生むのは、さらなる研究意欲ではなく、それに胡坐をかいて何もしなくなる未来という風に筆者は指摘していた。
ちなみに筆者自身も終身雇用の資格を持つ人らしいが、それを返上しろと言われたら別に何の執着もなく返すそうだ。
肩書は、結果なんか知らないがついてくるくらいで丁度いい。そんなものなのかもしれない。
3月18日(火) 報酬というインセンティブ。

政治家の給料を上げると、優秀な政治家が集まるのだろうか。この難しい問いについて、筆者が持論を述べていた。結論としては、やはり限定的だろう、と。
この本(ブログ)の執筆当時は、シンガポールの首相の給料は、オバマ大統領の数倍だったというから、国のトップ間においても、エグい格差は存在したことになる。
でも、だからといって、給料安いしやってらんねぇよ、という程度のモチベの人に頭を張られても困るような気がする。
政治のトップが求めるインセンティブとは、お金とはまた別のどこかにあるのだと思う。それが何かは、僕にはちょっと見えてこない。
3月19日(水) 白か黒か、灰色か。

イギリスかどこかの調査だったと思うのだが、判断に必要な情報が不足しているとき、それを「わからない」と判断できる子はかなり少数派なのだという。
例えば、ざっくりと省略したが、雰囲気が同じの以下のような質問を考えてみてほしい。
「メアリーは家族で赤い車に乗って、とあるビーチに行きました。そこではハンバーガーを食べました。」
Q1:メアリーが乗っていた車の色は何?
Q2:メアリーはホットドッグを食べた?
Q3:メアリーは車内でBGMを聴いていた?
Q4:メアリーはレモネードを飲んだ?
ちなみにオフィシャルな答えは、赤、いいえ、わからない、わからない、だという。実をいうと僕もそれに異論はない。
だが不思議と、世界は白か黒じゃないとダメという人もいる。この硬直した感じは、物事を観察するうえで非常にデメリットになってしまうのだという。
白か、黒か、はたまた灰色か。こういう回答・自問を許せる自分でありたいと思う。
3月20日(木) 「俺は知ってるw常識だろw」という発言のイタイタしさはどこからくるのか?

僕はXを始めとするSNSや、動画プラットフォームのコメント欄に群がる、「俺が合っててお前は間違ってるw」アピを観ると、怒りや悲しみの前にキモさを実は覚える。
イタイタしいと形容してもいいのだが、なんというか、狭い世界で生きてきて、それを誰にも正してもらえなかったんだろうなぁと、そういう痛さを僕は覚えてしまう。
その理由の一つになりそうな話が、今日は出てきた。それは、正解なんて文化・国・感情に応じて、いかようにも変わるという話を読んだためだ。
例えば悪魔を信じるかどうかの問いについては、エリアで比較すればかなりの差が出る、という話も読んだ。正解が一つなんて、なんと無邪気な話だろう。
この世における絶対は、死くらいのものだ。このくらいで構えておき、あらゆることに自分の価値観を押し付けないことの大事さがよくわかる一幕であった。
3月21日(金) 知ってると思った瞬間から停滞が始まる。

「知っている」「わかっている」という状態は、いわば幻想、あるいは学校教育という範囲と答えが明確に定められた世界でのみ果たせるもの。僕はそう思っている。
5分後の世界などわからないし、知識は常にアップデートされる。経験値となればなおさらだ。僕もまた、昨日の自分とは色々異なっている。
「知ってる」と思ってそこで更新を止めた瞬間から、人の停滞は始まると思う。自分の知見をアップデートしない人の言動はどうにも痛いことを踏まえてもわかる。
「知らない」「わからない」とだけ言う人もつまらないが、「じゃあ調べてみよう」と一言言えれば話は変わる。僕は常にそうありたく思う。
3月22日(土) 予測を過信することなかれ。

ワイドショーなどを見ていても思うが、人は未来予測が好きだ。皮肉なものだが、例えば物価は上がる、生活はこう苦しくなる・・といった予測の方が、耳目を集める。
もちろん電気代など、コストに対してモロに跳ね返ってくる要素は軽視できないが、なぜいきなり補助金云々に飛ぶのだろうかと僕は思う。節約すればいいじゃん、と。
感情論が物事を解決することは決してない。そういえば筆者たちは、子供っぽい性格を自負しながら、その観点はどこまでも俯瞰的で、かつ他人事である。
真の子供とは、意外と輪に入らず、自分の世界・好奇心にこそ忠実というスキルを持っているのかもしれない。
3月23日(日) 知らない状態に常に自分を置く。

観察力の鍛え方にも書かれていたことであるが、本当に学びを続けられる人というのは、自分が「わかった」「知った」状態にあることを良しとしない。
むしろその到達をすぐに捨てて、こうすればどうなる、この場合はどうなる、といった風に、すぐに次の問いを探しに行くらしい。
手前味噌だが、僕もそちら側だ。知っている状態に固執することは、ただの衰退に他ならない。何よりそんな風に物事を観察しても、ひとつも面白くないではないか。
ワルかどうかはさておき、僕もまだまだいい意味でガキだ。そんな自分を誇りたいと思う。
では今日はこの辺で。