今日は、「ゆとりの過ごし方をどうするか?」というテーマで、特に何かしらの気づきも書きたいこともない状態なのだが、無理やり考えてみることにする。
正直、これは塾業界にとっての内輪ネタだが、今は中学も高校も定期テストがひと段落して、かつ喫緊で大事なテストがあるわけでもない、いわば狭間の時期だ。

英検が週末にあるとはいえ、期末テストの準備にはまだ早く、かといって受験の話をするにはもっと早い。そんな、いわば“宙ぶらりん”の時期に突入している。
もちろん、この期間だからこそ仕込んでおくべき準備はある。でも、それで1日がバツバツに埋まるわけでもなく、相対的にゆとりのある時期だと言える。
ただ僕は、この“ゆとり”というやつが昔から本当に苦手だ。無間地獄という言葉があるが、大げさなものの、そこで味わわされる責め苦に似たものを感じている気がする。
過去何度も書いてきたことだが、僕は与えられた時間について、少なくとも自分が「これは生産的だ」と思えることで埋めていないと、そわそわして落ち着かなくなる。
いい加減この辺に折り合いをつけておかないとなぁ・・と思いつつも、その答えが出る気が微塵もしないし、そんなこと考えている暇があったら仕事がしたいと思ってしまう。
それはいかんと思って改めて考えてみたが、ズバリこれという仮説にさえ至らなかった。今日はある種のハズレ記事、頑張って続けます。
休みたくないメタ。休まなくていいという感情。

本来、こういう時期は長期戦に向けた“オフ”のつもりで、心身のストレスを減らしておくのが合理的だと、頭では思う。多分人にもそう推奨する。
どうせ夏になれば、定期テスト、教育相談、夏季講習といったイベントが、ノンストップで襲ってくるのだから、それに備えて、今のうちに体を整えておくのが理想だ。
・・が、現実はそう簡単じゃない。これまためんどくさい思考だが、給料が発生している時間を空けて自分の身体を整えるとか、主客転倒甚だしいと思ってしまうのだ。
結果、本来ゆったりしていい期間も関係なく仕事を詰め込むため、6~9月の時間経過が凄まじく、記憶ごとごっそり抜け落ちてしまうくらいだ。
具体的に言うと、あまりにも忙しすぎて、調整が手間過ぎて休みは”諦めている”し、下手すると“食う・寝る・仕事”だけの毎日が2~3週間平気で続いてしまう。
当然、誰かと会って遊びに行くとかもない。そんな生活をしていれば、当然「さすがにヤバくない?」と毎年久方ぶりに会う友人から恒例のごとく釘を刺される始末だ。
ただ、難しいのはここからだ。今この“ゆとりの時間”をうまく使えたところで、それが夏の忙しさをどこまで軽減してくれるかは、実は全く関係がない。
むしろ、ゆとりではなくアクティブレストのようなものだと解釈し、ある程度の負荷を掛け続けておく方が、自分の心身を健やかに保つことに繋がるのではないか。
世間が推奨する「休み」と、僕が忌避する「休み」は、完全に重なってしまっている。理性も感情も手を取って、「シンプルな空き」にNOを突き付けている。
こういうのはなかなか僕の中に無い。敵として、最強クラスの頑固さ・偏屈さだと思える。つまり結論としては、「これだ!」という答えは出ていない。
自分の中に凝り固まった“こうあるべき”という価値観が、まるでコンクリで固まったようにどっしり居座っているため、そう簡単には変えられそうにない。
でも、こうして「一度立ち止まって考えてみること」そのものに、少しは意味がある気もしている。そう思わないと、ちょっとやっていられない。
では、今日はこの辺で。