精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

頭の調子が悪いので、自己分析をしっかり行ってみる。

昨日あたりからはっきり自覚しているのだが、頭の働きが明らかに悪い。いわば、商売道具そのものの調子が鈍っている状態なので、意味もなくすごく焦る。

 

もちろん、誰にでもそういう日はあるが、僕の場合、それを「まあ仕方ない」で放置するのが難しい。放っておけない性分なのだ。これこそが泥沼の原因と理解しつつ、だ。

 

ここで思い出したのが、最近また読み直した『熟達論』という本だ。ここに書かれていたヒントの中に、今の僕の状態にとってすごくマッチするものがあるのを思い出した。

 

その本によると、熟達のレベルが深まって「心」の段階に達すれば、自分の不調を早く察知し、立て直すのも早く、容易になるという話が書かれていた。

 

僕自身、自分の感情や状態の分析に関しては、わりと深めてきた自負がある。しかし、こういった不調時に意識的に己を見つめ直した経験は、そこまで多くない。

 

だからこそ、今のダウナーモードを貴重な機会と捉え直し、「今の自分は具体的にどう調子が悪く、何が効くのか」を、丁寧に観察してみようと思う


正直別に愉快ではないのだが、以下その自分観察記まとめである。何かの参考になる点があれば嬉しく思う。ではいこう。

 

 

今顕現している不調。

 

自覚している不調は、全てが同一だとも言えるし、別々に分析できるとも言えるほど、似通った症状ばかりである。ただ今回は敢えて、別々として数えて考察してみる。

 

①論理的思考の鈍化。

 

まず、今はっきりと感じている不調の具体的な症状を挙げる。第一に、言葉がうまくつながらない。これが一番、我ながら深刻である。

 

話している途中で、「自分はいったい何を言いたいんだ?」と迷子になる。読解や理解には支障がないが、自分が発信するとなると明らかにおかしい


頭の中で言葉が整然と並ばず、出てくる声も内容も、どこか他人事のように感じる。意識が自分の視界の20㎝くらい上にあるような浮遊感がある。


と同時に、「いま適当なことを言ってないか?」という不安が、常に付きまとう。付きまとう癖に、それを吟味する意識のリソースが無い感じだ。

 

意識の中に靄が掛かっている。そう形容するのが一番しっくりくるように感じている。頼むから今日は、新規問い合わせといった大事な電話が来ないことを願ってしまう。

 

②起き”あがれ”ない。

 

起きれないことも自覚症状の一つだ。しかしながら、これはただの眠気ではなく、もっと重い、「意欲の枯渇」とでもいうべきガス欠状態である。

 

目は覚めているのに、布団から出ようという”欲求が”まったく湧かない。二度寝を試みても眠れず、ただただ「起き上がりたくない」状態が続く


感覚的には、「1日を始めたくない」という言葉の方が正確だ。実際、今日はそれが原因で危うく遅刻しかけた。

 

元々低血圧気味で朝が弱いのだが、覚醒してから2時間以上起き上がれないのは人生でも経験がほとんどないことであるからこそ、どこか底知れぬ恐怖を抱いている

 

③意識が届かない。

 

第三に、猛烈な物忘れとケアレスミスの増加も感じている。しかも、自分の脳がダメになったかと恥ずかしくなるくらい、それは重篤だ。


実際昨日、スーパーで買い物をして、袋詰めをした際に、ほうれん草を忘れて帰ってしまった。これは流石に人生で初めての失態だ。猛烈に恥ずかしい。

 

しかも、タイピングのミスも頻発しており、意識的に速度を落とさないと、4~5文字に1回は打ち損じてしまい、仕事が全然進まない。これはこれで苛立たしいものだ。

 

この時点でもかなりヤバイ現象が起きているとわかるのだが、実はあと一つ、強く自覚している症状がある。そしてそれこそが、僕が思うに、一番マズいものでもあるのだ。

 

④人前にいたくない。対人的なことを何もしたくない。

 

正直今はもう、早く帰りたくて仕方ない。仕事場といった人目がある場所にいたくない。今日も既に2~3回、「キツい」と思って、物置で数分過ごす時間を取ったほどだ。

 

声色も我ながら沈んでおり、どうやって意識しても、元気良い自分が演出できない。仕事の分人を出すエネルギーさえない気がして、対人的なことをひたすらに避けたい

 

塾講師とは顧客商売、つまりサービス業であるのに、こんな沈んだ人間を表に出すのはいかがなものか。もしこの状態の従業員を僕が見たら、すぐに裏に引っ込めたい。

 

ということで、思考も鈍く、身体も動かず、意識も弛緩し、そもそも人前にいるのが嫌だとあれば、自分のコンディションが極めて悪いことは明白である。

 

一体何がどうして、ここまでの不調に至ったのか。しかもこのモードには、突然至ったという感覚しかない。一昨日は普通に、2時間くらい趣味を楽しむこともできたのだ。

 

続いては、心当たりとして「これのせいか?」と思うアレコレを列挙し、その原因について考察してみたいと思う。

 

原因を踏まえて、ケアを探る。

 

最たる原因は神経の消耗に違いない。実際、現在、10月23日(木)にこの音声を吹き込んでいるが、今月、僕が1コマも授業をしなかった日は、たった1日だけだ。


職場にさえ行かなかった日となると、8月の末に1回あっただけだし、10月の残り8日間も、すべて出社予定である。


もちろん半休の日もあるが、実態としてはずっと働き続けている状態だ。少なくとも精神の”揺らぎ”は完全に失われ、張り詰めっぱなしと形容していいだろう。

 

単純に言えば、働きすぎだ。しかし、世間一般でいう”働きすぎ”のラインをとっくに凌駕した状態で、”働きすぎ”な状態を、3ヶ月以上続けてしまっている


とはいえ3~4週間前も一度今と似た枯渇・燃え尽き状態に至り、それを踏まえて徹底した休養を取ったのもあって、以後快方に向かってはいたはずなのだが…。

 

僕の心のガソリンは、思った以上に失われ、補充もできてなかったということだろう。これが最たる原因であることは、もう疑いようがない。下手すればこのまま鬱になる。

 

だが同時に、これは「働きすぎをどうやって止めるか」という単純な話でもない。張り詰めっぱなしの神経を、どう緩めるかに取り組まないと、同じことだろう。

 

仮に、今日から丸ごと1週間休みが取れるということになっても、職場のことが気になり過ぎて、毎日出勤し結局パソコンを叩く自分か、家で悶々とする自分が見える

 

しかし、脳があの手この手で誤魔化してきた疲労がもう隠せなくなっているのを考えると、あと少し”進んでしまえば”、僕は奈落に落ちるような感覚さえ、今は抱いている。

 

危機感を抱けるだけ、まだ取って返せる可能性があるということ。それだけは希望として捨てず、踏ん張りながらも、自分をもっと労いたく思う。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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