僕は「ビジョナリー・カンパニー」を築きたいとは思わない。自分が居なくなっても自走する組織を創りたいとも思わない。それは僕の夢の範疇を超えている。
ではなぜ、この仕事をしているのだろうか。規模を増すことも、自分の腕でのしあがって稼ぎをぶち上げることにも、興味が無いのなら、なぜ続けるのだろうか。
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「なぜ辞めないの?」と聞かれたら、僕は何を答えるだろう。自問するのも怖い問いだったが、その答えは、意外にも、スッと出てきた。
「まだやりたいことがあるから、見てない景色があるから、ここで辞めたら過去不幸にしてしまった生徒や親に申し訳が立たないから‥‥」
僕はいわば、清濁併せのんだ結果として、まだ続けたいと思っている。だから僕はこの資本主義のルールを、より一層深く、強く、明確に理解したい。
そして抽象的な言い方だが、もっとどん欲に、34歳の今だろうが、成長を続けたい。でないとこの資本主義社会から追い出されて、僕は強制的に”終わらされる”。
それは嫌だ。嫌だから学ぶ。それだけだが、それゆえに純粋だ。今週もそんなことを思いながら、読み進めていく。
- 12月8日(月) ラグジュアリー?プレミアム?
- 12月9日(火) WHYに固執してもいけない。
- 12月10日(水) WHYのためにはHOWもWHATも変える。
- 12月11日(木) 繋がっている感がくれる安心感。
- 12月12日(金) 人間ゆえの渇望。
- 12月13日(土) 曖昧だが伝わる、の意味。
- 12月14日(日) 直感の7割は正しい。
12月8日(月) ラグジュアリー?プレミアム?
すごく曖昧な質問だが、フェラーリとHONDAだと、どっちの方が”イイ”だろうか?この答えは、その人の置かれている状況によって変わるだろう。
ステータスとして映えるものが欲しい人には、フェラーリこそ至高になる。だが、家族を乗せるのにちょうどいい車となれば、HONDAの勝ちだろう。
だからこそ、その中間に当たる、”どっちでもないもの”は、淘汰されていく。何かをどれかに振り切らせるものこそ、「理念」もとい「WHY」なのではなかろうか。
ならば僕は、僕の指導を誰に届けたいのだろうか。正直、成績が最初からいい子にとっては、僕らはお互いに用事が無いと思っている。
だが、そこで回答は止まる。まだまだ内省が甘いんだなと、ここでも思わされた。
12月9日(火) WHYに固執してもいけない。
WHYが効いてくるのは、商品やサービス自体のクオリティが一定水準を超えているときだ。乱暴に言えば80点出来を取れていることがマストになる。
その前段階で、「俺の理念は~」と言っていても、本当に寒い。まずは自分の売っているものが、市場に受け入れられることは絶対に必要なのである。
ところで、齋藤一人さんは、「まずは徹底的に基本に忠実であること」を説く。笑顔、頷き、天国言葉。これが溢れる職場にして、その状態からアイデアは湧く、と。
・・・・なかなかここに繋がりを見出す人は少ないだろうが、やはりサイモン・シネック氏と齋藤一人さんの教えには、何か共通する理念を感じる。
同時並行でこの2冊を読むのも、何か面白い発見になるのかもしれない。強くそう予感している。
12月10日(水) WHYのためにはHOWもWHATも変える。

【夢と金】にも書かれていたが、日本のガラケーはとにかく薄さと軽さを競い合い、0.1%ずつだろうとそれでシノギを削り合うという図式になっていた。
それがスマートフォンの登場の下に一撃で吹き飛ばされ、と同時にいわゆるモバゲーといった文化も終焉を迎えた。退場した企業もたくさんある。
だが、ガラケーを捨ててスマホに即座に対応し、その後も成長を続けている会社も当然ある。それらはWHYのためにHOWとWHATを変えた組織たちだ。
今、教育業界が泥船と言われて久しいのだが、そこと運命を共にするか、別の道を探るのか、すごく大きな問いをずっと眼前に突きつけられている気分である。
12月11日(木) 繋がっている感がくれる安心感。

僕たちは、自分の出身地の人全員と、友達はおろか顔見知りであることもあり得ない。だが、同じ出身の人と余所で出会えると、なぜあんなに喜びを覚えるのだろう。
例えば僕は広島出身なのだが、今住んでいる場所でそこから来た人に出会うのは、隣県なのに結構稀だ。だがたまに、地元レベルで同じ人に出会えることがある。
そうなると、僕はその人をずっと前から知っていて、何度もあってきたかのような親密度を覚えることがある。これはいわば、人間の本能なのだという。
そしてWHYから始めるべきという提言の背景には、筆者の”意見”ではなく、もはや生物学とでもいうべき、人間の根本に響く何かがあるそうだ。
だからこそ普遍性がある、と。すごい角度から、話が広まりそうで、素直にワクワクする。
12月12日(金) 人間ゆえの渇望。

今日、整理が追い付いていないが、自分の中でかなり多くのことが繋がった教えに出会えた。それは人間の”繋がりたい”という欲求に関するものだ。
僕は正直、そこまで友達がたくさん欲しいとは思わない。なんなら独りで居るくらいで丁度いいと思っていた。だがそれは、半分嘘らしいのだ。
正確に言うと、自分と相性がいい、自分と何かを共有する相手が居ることを期待してないだけで、そういう人がいれば僕も多分、嬉々として繋がろうとするようなのだ。
インターネットの台頭以降、人間はむしろ分断されたと僕は思っている。社会が無理矢理用意した巨大な集合体では合わない人も、合う仲間を探せるようになったためだ。
不登校という問題が大きくなったのも、別に不思議な話ではない。学校が合わない子たちに、学校以外の居場所や通学以外の選択肢が用意されたのだから当然だ。
そして自分が提供しているものは人間同士の繋がりのハブであるという表明こそ、いわゆるWHYを語れる組織、人になるんだと思っている。
・・まだまだ整理はやはり追い付かないが、何がすごく大きくて普遍的なテーマに辿り着いたような、そんな気持である。
12月13日(土) 曖昧だが伝わる、の意味。
観察力の鍛え方を読んで、当時の佐渡島氏も具体が追い付いていないと言っていた言葉の一つに、「曖昧だが、明確に伝わる」というものがある。
名作とされるアート、古典などがそれに該当すると書かれていたが、僕はこの感覚が何なのか、折に触れて自分なりに理解しようと頑張ってきた。
そんな折、この本を読んで、それに関連しそうなことに気が付いた。それは、本当に心を動かされたときは、その理屈は説明できない、というものだ。
脳の中でも最も古くから存在する部分は、言語が介在できないという。嫌いな食べ物が嫌いな”論理的な理由”を言葉にするのが困難なのと似ている。
となれば、曖昧だが伝わるというのは、言語化が不十分なままであったとしても、その対象の魅力・実質を作品として創り上げ、それを届けたときに起こることではないか?
僕が磨くべきは机上の空論ではなく、自分自身の感性への感度なのではないか?ここへきて、自問自答のペースが急激に高まっているのを感じている。
12月14日(日) 直感の7割は正しい。

「WHY」とは、「大脳辺縁系」と呼ばれる部分が司っているものだという。尚、大脳辺縁系とやらがどんな働きをしているかは、以下の通りだ。
大脳の奥深くに存在する尾状核、被殻からなる大脳基底核の外側を取り巻くようにある。
人間の脳で情動の表出、意欲、そして記憶や自律神経活動に関与している複数の構造物の総称である。
生命維持や本能行動、情動行動に関与する。海馬と扁桃体はそれぞれ記憶の形成と情動の発現に大きな役割を果たしている
よく、「直感の7割は正しい」という言葉がある。実際、マーク模試も最初に閃いた選択肢が合っていることが多い気がするし、一目惚れは離婚率が低いらしい。
羽生善治氏も、理屈で決断するより、「パッと」閃いた手の方が良いことが多いと書いていた。だから、脳の奥底の感性が反応するまで、”待つ”という話もしていたほどだ。
僕は全てにおいて、まず理屈から入ることの方が多いという自覚がある。だがここで一度、そこをひっくり返して、あえてボーっと色んなものを見るのが大事かもしれない。
集中せず、広い視野で眺めて、反応があったらそれは”なぜ”かを考えてみる。インプットが閾値を超えたとき、一体そこには何が見えるのか。想像するだけで心が躍る。
では今日はこの辺で。