精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「ユーモア」を滅茶苦茶我流で分解する。

前の記事にも書いたが、僕はコロナの療養生活によって、徹底的かつ強制的に仕事からクラッチを切らされた今、どこまでも”仕事”に対して客観的だ。

 

もとい、働いている自分の姿を幽体離脱して上から見てみたら、といった陳腐な思考実験も、今なら容易に行えるように思う。距離、取ってみるもんだな。

 

さて。その期間を経て、なんだかんだあって今僕が辿り着いている点はどこか。それは”ユーモア”の解像度を上げることだ。

 

なぜなら、僕がずっと鍛えたいと思っている俯瞰力も、達観力も、客観力も、切り離し力もスルースキルも、すべてはユーモアに通ずと気づいたためだ。

 

そしてそのどれか1つを選んで鍛えろと言われたら、僕は真っ先にユーモアを選びたい。ピエロにはなれないが、僕は子供の頃からそういう節があるからだ。

 

今日はそんな、飛躍ありまくりでシンドイ持論を書いてみる。(病み上がりなのでご容赦くださいませ)

 

 

クソみたいな状況をネタと受け取る力。

 

この療養期間中一番ハマったのは、ラランドのYouTubeだ。体力はほぼ残っていないのに、タイトルだけで爆笑して泣き笑いしてしまったほど、以下の動画がツボだった。

www.youtube.com

 

これはやってる行為だけを取り出して分解すると、結構陰湿なもののはずなのだが、ターゲットの方の品行、編集、関係性などを踏まえれば、神コンテンツだと僕は思った

 

その他のコンテンツも面白いものが非常に多いのだが、特にすごいと思ったのは、ネタ自体は小学5年生とかでも閃きそうなものの組み合わせが大半という点だ。

 

仲間内でキャッキャとやって楽しかったくだらない遊びを、プロの技でエンタメに変えるこの感じ。これを観ていると、僕はなぜか、自分の子供時代を思い出した。

 

僕は子供の頃から、今なら言語化できるが、お笑い番組の企画みたいな体裁で遊びを企画するのが好きだった。もろにそういうところから影響を受けたとよくわかる。

 

今なら不法侵入罪などで刑事罰待ったなしだが、「100均で手に入るもので河原に秘密基地を作ろう」といった風に。実際、屋根までは作れたので結構驚いている。

 

また、「川に沿って自転車で延々と遡れば海へ行けるのか?」というアホ極まりない企画を中学2年生の頃に友人数名と試したことがある。

 

結論を先に言うと、”行けた”。当時は記録媒体も持っていなかったので立証はできないが、あの日潮とヘドロの混ざった臭いに包まれながら見た夕日をまだ覚えている

 

ネタだけ見れば、クソだししょうもないし、そんな時間があれば他のことに回した方が建設的だとも思う。だが、僕はそう”言われる側でありたい”な、と。

 

それを”言う側”になったらマジで面白くない。僕はいつまでもそっちに巻き込みたいし、巻き込まれてくれる友人を側に置いておきたい。

 

正直世の中、誰が見ても素晴らしいと思える素材の方が稀有だ。どこかに瑕疵があるものでも、発想や組み合わせによって、面白いものへ変える力。

 

それがユーモアのことを指すのだとしたら、そのためには客観視が要るし、そのためには物事を冷静に分解する俯瞰力・語彙力が要る。ドミノの一枚目が見つかった。

 

「どうすれば僕は、僕と僕を取り巻く環境に面白い何かを提供できるだろうか?」という目線に立脚した問い。別にYouTubeをやる気はないが、これは問い続けたいものだ。

 

全てをゲームに変える。クイズに変える。逆にとてつもなくアカデミックなコンテンツに昇華してやる。振幅こそが面白さなら、どうやってスイングするかを考える。

 

そしてユーモアの解像度ももっと高めたい。例えば俯瞰力はユーモアに寄与するとみて間違いないが、それすなわちユーモアを意味すると言えば暴論だろう。

 

仮にそうならば、プロの棋士やチェスプレイヤーは全員ユーモアセンス上位クラスタになってしまうが、多分中には話が面白くない彼らもいるだろう。(失礼だが)

 

他にも、ユーモアがある人は頭が良いと僕は思うが、だからといって勉強ができることは「なるほど!じゃあユーモアあるんですね!」とは引っ張り出せない気もしている

 

学校の勉強が苦手でも喋らせると抜群に面白いヤツ。学校の勉強は抜群に得意だけど、喋らせると自慢ばかりで遺伝子レベルにつまらないヤツ。どちらもいるだろう。

 

具体例で考えてもわかるのだが、得てして視野が狭くて我が強いヤツはユーモアのセンスが無い。面白いのだが、裏を返せばそのままそうなる気がする。

 

自分では無く、自分と周りの環境を観る。自分がしたいことではなく、大局観を持って場を観察する。自分が面白いかだけではなく、誰かを傷つけていないかを鑑みる。

 

こう考えれば、ユーモアとはなんと高次元の、頭を使ったバトルなのだろうかと感動する。クイズ王というコンテンツは当事者意識が持てなくて興味が無いが、これは別だ。

 

段々と深いところまで見えてきた。だが、ここから先に何となく見えているものは、まだ全く言語化が追い付いていないので、ここで一旦止めることにする。

 

さて、明日から復帰だ。なるようになればいいが、さて、どうだろう。面白おかしく生きたいものです。自分の手が届く世界だけでいいから。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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