精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記222】”Think Like A Freak”再読感想ブログⅧ ~したたかな子供であれ~

過去に言ったかどうかうろ覚えだが、僕は一応経済学部出身である。ただ、そこで何を学んだか、胸を張って理論だなんだと喋る気にはならない。

 

ハッキリ言って、結構な量のそれを忘れてしまったからだ。それはあまりにも恥ずかしいと最近思い直し、しばらく学び直しをしていた時期さえあるくらいである。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

僕が経済学を勉強するたびに思うことがある。それは、「そりゃそうだろ」という事象も、丁寧に分析するとこんなに面白いのか、ということである。

 

それが本質なのだとしたら、入学した時すぐに、僕はこの本を知りたかったなと残念に思う。ただし、出会わなかったIfストーリーよりはマシなはずだ。

 

そうポジティブに考えつつ、今週も読んでいこう。では以下、本題である。

 

 

3月24日(月) 世界はどうなっているか。どうなってほしいかではなく。

 

経済学においては、統計の分析など、様々なことを研究するための道具はきちんと揃っている、とされる。

 

深刻に不足しているのは、むしろ研究に値する問い。そのことは、著者の二人が何度も指摘していることである。

 

たくさんの道具を集めて、その使い方にいくら習熟しようとも、それを基にどうでもいいことを研究したところで何にもなりやしない。

 

だからこそ、「これって本当はどうなんだろう?」という問いからスタートし、経済学の分析を用いる二人は最強なのかもしれない

 

この世に解かれていない謎はごまんとあるが、それは玉石混交、というよりほとんどが石ころだ。それも上等で、僕はもっと世界自体を楽しんで観察したい。

 

3月25日(火) 知ったかぶりの功罪。

 

人はなぜ知ったかぶりをするのか。僕もする側ゆえに、ここの答えは是非とも知りたいと思う。

 

すると、単に「わからない」ということの方が、「知ってるふりをする」よりも、ロスが多いからだそうだ。

 

無知を認めることは、信頼の失墜になる。そういうプライドに関する恐れは、僕も感じることはある。

 

だが本当に信頼できる人ほど、素直に知らないものは知らないという気がしている。表面的なプライドを引き剥がした先にこそ、真の信頼はあるのかもしれない。

 

3月26日(水) 結局、したもん勝ち。

 

予言や予測は基本したもの勝ちだ。特に最近は強くそう思う。あれはなんとノーリスクハイリターンな行為なんだろう、と。

 

例えばテスト範囲をみて、問われる問題を予想する。当たれば喧伝すればよくて、外せば黙っていればいい。

 

僕は占いも信じてないが、その裏にあるのはこのリスクとリターンがバグった構図ではないかと思っている。

 

とはいえ世の中がそうなんだから、僕はむしろ忌避するより、利用する方がスマートな生き方なんだろうなと思っている

 

3月27日(木) データを観ない人たち。

www.youtube.com

 

ダニング=クルーガー効果というバイアスがある。簡単に言えば、「俺は平均より頭が良いのだ!」という自己評価は、相対的に知性が低い人ほど言いがち、というものだ。

 

本当に知性が高い人達は、ある出来事があったとき、感情的な反応はしない。例えばソースを探して客観的なデータを見つめるなど、"自分の頭で考える"のだ。

 

そういう思考回路の人は、悲しいことに、感情的かつ全能感を持った人達とは絶対に交流しない。時間の無駄だと考えているからだ。そしてそれは、僕も同意する。

 

データを観ない人たちは、つまり残念な方々。冷酷かもしれないが、ここまでその通りと思える結論も無いといえる。僕は願わくば、データを観る側であり続けたい。

 

3月28日(金) 結局成長する人たちの特徴。

 

広義の成長を果たすには、何が大切なのか。筆者曰く、それはやはりフィードバックの繰り返しに尽きるそうだ。

 

例えば料理。まずはレシピ通りに作ってみる。確かに美味しい。だが、もう少し自分好みの味付けに寄せたい。

 

だがただ比率を変えただけでは、味のバランスが崩れたり、想定した風味と異なったりする。

 

では、これを加えたら?そもそもどうすればいいかという話はネットに無いか?そしてその仮説をまた検証する。

 

やはりこういう試行錯誤こそが、爆発的な成長を生むということだろう。日々自由研究。そのくらいの気持ちで生き続けたい。

 

3月29日(土) データは語る。ただし真実かどうかはまた別。

データで導き出されたものが、本当に世の中を反映しているか。これもまた、慢心せずに疑うべき問いなのだという。

 

例えば、「テレビ広告は購買行動を促すか」という問いに対し、「はいそうです」という結果を返した調査があった。

 

しかしその実際は、クリスマスやブラックフライデーなどのイベント時に広告を流していたというだけであり、広告の「おかげ」とは言いきれないという話だそうだ。

 

そしてなぜ広告をその時期だけに絞ったかというと、単にコストがかかりすぎるため、らしい。

 

恣意的といえば言葉が強いが、前提によってもデータの意味は変わる。胸に刻んでおこうと思う。

 

3月30日(日) 意味のないデータを集めるという愚かさ。

データに導かれるままに調査と分析を進めることで、全く新しい世界が開けるというが、その逆もある。データ自体がすでに操作されたものである場合だ。

 

例えば塾業界でいうなら、4月に広報活動を行うのは当然だが、それによって生徒が増えるという帰結を一本で引くのは微妙な気がずっとしている。

 

なぜならそもそも4月は塾を検討する人が多くなる時期だからであり、夏になるとビールを買う人がそもそも増えるのと同じ構図だからである。

 

だからこそ、本当にそうなのかをピックアップして検証できる実験が追加で必要になることが多いのだ。だが多くの人は、コストや手間を理由に、得てしてそれを避ける。

 

筆者はその状況を嘆いていた。僕もそれを斜に構えることはできるが、では意識的にそれを実践できるだろうか。ここは僕の課題だともいえる。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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