アイデアはいつだって欲しい。現状を打破する方法に僕はいつも飢えている。しかしそういう心の底まで焦燥感に囚われた状態では、アイデア自体もどこか苦しみを帯びる。
純粋なアイデアを生み得る心の状態とは、非常にデリケートなものであり、それは狙って、意識の力でそこへもっていくのは無理なのではないかと僕は感じている。
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そうではなく、準備が整えば自然と人間は入眠するように、きちんとした環境を創ることで、そのモードに入ることを期待せずに待つことが正しい構図なのではないか。
繰り返すが、僕は現状を打破する方法に、いつだって飢えている。だが、飢えを感じている限り、多分それは荒唐無稽な劇薬に過ぎないのだろう。
もっと心を純粋に、それこそ子供の頃みたいな無垢を再現して、待つ。そう思うと、休日の意味合いが更新されるような気がした。そんな話を、今週も読んでいこう。
- 4月21日(月) ニッチに問え!
- 4月22日(火) 学力不信?それとも・・?
- 4月23日(水) AならばB、BならばC、CならばD・・・・
- 4月24日(木) 人はいつ大人になるのか。
- 4月25日(金) 望ましい行動、とは。
- 4月26日(土) 「貯金はなぜ難しい?」
- 4月27日(日) 退行ではない。決して。
4月21日(月) ニッチに問え!

とんでもなく規模の大きい問題を考えることは、実は子供らしくは無いのだという。子供の視点はピュアであり、それはすなわちミクロなのだ、と。
例えば経営において、企業の一番でかい目的は利益を出すことだが、このスケール感で考えて、具体的な行動が出ることは難しい。
上げるべき数値は単価或いは顧客数で、減らすべきは無駄な浪費だ。どれかに絞り、手をつける。
実はこういうピンポイントな課題こそ、意外と手付かずのままなことが多いのだ。
まずはできることからやってみる。俯瞰が求められる立場だからこそ、僕も忘れないようにしたい。
4月22日(火) 学力不信?それとも・・?

どこの国の話かは失念したが、ある学力不信に悩む学校があった際、研究者たちが着目したのは、視力が低いのに眼鏡をかけていない生徒の割合の多さだという。
そして実際、補助金で眼鏡を支給したところ、渡した生徒たちとそうでない生徒たちでは、テスト結果に有意な差がついたのだという。ただ見えていなかっただけなのだ。
例えばリテラシーとか、それこそ数的処理能力とか、そういうマクロ極まる話を考えるとまず気づけない課題だと思う。だからこそ、ニッチに問うことも大切なのだ。
4月23日(水) AならばB、BならばC、CならばD・・・・

ニッチなところから課題の解決に動こうとすると、意外とそれが問題解決の勘所を刺すことに繋がることも多い。
「嫌われる勇気」にも書いてあったが、基本的に世界はシンプルで、それを複雑にしているのは自分たちの認識なのだ、と。
子供はそもそも、複雑な世界の存在を知らない。だから目先のことに、ダイレクトな問いを当てられる。王様は裸である、という子供のように。
そういえば、やたら主語をデカくして一般論かしようとするのは、実は知性が低い人がやることだ、という指摘をどこかで読んだ。それには僕も同意する。
ならば自分も・・と、やはりすごく身につまされる話だと思った。
4月24日(木) 人はいつ大人になるのか。

人はいつから、「これをしたらどうなるんだろう」と考えなくなるのだろう。そしてそれは、なぜ起こるのだろう。
そうしないことが大人の証と聞かされ続けたからだろうか?そうすることで煙たがられたからだろうか?
いずれにしても、その好奇心が消えた人から人生がハードモードになっていくとは皮肉な話だと僕は思う。
精神年齢的には僕は退化しっぱなしだと思っていたが、実は元々大して成長などしておらず、迎合を止めただけの気がしている。
大人の仲間入りは果たせないにしても、そういうクラブの外の世界の方が、広くて複雑で未知で楽しい。だからどうでもいい。
4月25日(金) 望ましい行動、とは。

これは仕方ないことだと思うのだが、社会における好ましい行動への誘導は、どちらかと言えばそれに反する行動への罰則という形で行われている。
例えば「税収を増やしたい」となれば、「税金の納入をしないことへの強い罰則を設けよう」という風に。納めれば特典がある、といった方がどうしても稀なのだ。
あれもダメ、これもダメ。もちろんサッカーみたく、手を使えないという制限があるからこそ盛り上がる分野もあるが、それはそれが特異なのだろうと僕は感じている。
せめて僕が僕に課すルールは、楽しいからやっている、したいからやっている、という基準でありたいと思わされた。
4月26日(土) 「貯金はなぜ難しい?」

貯金とは何か。お金を貯めておくことと言えばそれまでだが、別の解釈をすれば「日本円への投資」とも言い換えられる。円を保持して利率で増えることを期待する、と。
しかしながらその利率はもはや限りなくゼロに近く、高めのところに100万円預けても、1年で2750円しか増えないというのが実情だ。
それを踏まえると、自己投資の名のもとに、積極的に使ってしまう方が得だ、という声の方が納得感が強い。仮にそれが浪費だとしても、だ。
貯金は難しい。それは自分事としても思う。それは貯金に直接的なメリットが無いからであり、例えば果たしてそれの役目を積み立てNISAなどが担うのかは、眉唾である。
4月27日(日) 退行ではない。決して。

物事を楽しく捉え、シンプルに考え、バカバカしさを恐れない。これが子供のように考える基本原則である。
こう考えれば、小さい頃の僕らはこれらの原則を言語化しないまま、忠実に実行していたということになる。
とはいえ今さら「あの日のようにただ退行する」のも芸がない。あくまでも、あの日のマインドを活用しなければならないのだ。
子供らしくあることを、退化とは捉えない。大事だが、なかなか誰も言ってくれそうにない教えである。
では今日はこの辺で。