「気にしない」ことは、とても難しい。スーパーに行っても、周りにいる知らない人が気になる。歯を磨いていても、終わっていない仕事が気になる。
僕はずっと何かしらにセンサーを張っていないといけないという、そんな生態があるのではなかろうか。別に無条件で悪いことではないのだが、これはとかく、疲れるのだ。

特に、家でボーっとしているときや、別に頭を使わなくても身体が覚えていて実行できる思考・行動に取り組んでいる際、こういう全てを気にするモードが発動する。
リラックスしているときほど、ネガティブが立ち込める。若林正恭氏が著書で書いていた「ネガティブ・モンスター」とは、言い得て妙な表現だと感じる。
そんな僕だが最近、数年前に仮説立てた”我流の「気にしない方法」”を試行錯誤した結果、「多分気にしてない状態ってこれだよな」というのを疑似再現できつつある。
今日はクセ強なのは認めつつ、その話を書いてみたい。
「気に”しない”」のではなく、無害なものを「めっちゃ意識する」。
まず一旦、全然関係ない話をする。僕は骨格に二つ、ある特徴がある。一つは肋骨の中心が凹む漏斗胸であること、そして反り腰であることだ。(前者は検索の際ちょっと注意)
その結果何が起こるかというと、腰痛になり易いのに加え、肋骨が反り返っていて、しかも骨盤が前に倒れることで腹が丸まり、つまり小太りに見えるのだ。
別にコンプレックスではないのだが、写真の角度によっては「腹だけ出てる人」に見えることもあり、少しばかり筋肉のついた「餓鬼」のようになることもしばしばだ。
正直これは後天的になんとかできるものではないと思っているし、実際漏斗胸を本気で直そうと思ったら外科手術が要るそうなのだが、骨盤はどうやら違うらしい。
例えば以下の動画が僕にとっては解り易かったのだが、骨盤を”後傾”させること(つまり反り腰の逆)は、股関節屈曲や、腹筋などの意識によって、コントロール可能なのだ。
実際にやってみると、ポコッと出た腹が一瞬で引っ込むし、腹筋により力が入るため、筋トレの意識も変わる。僕にとってのこれは、非常にいいエクササイズでもある。
だがこの動きが最初からインストールされていない(こういう機能ができないから反り腰になっている)からこそ、これは相当意識していないと、なかなかできない。
逆に言えば、これは僕の身体にとって苦手な動きであるからこそ、そこに意識を向けるだけで、脳のリソースの結構な量を勝手に食ってくれるのだ。
・・・ということで、頭や心の中がなんかうるさいときは、僕は常に骨盤後傾を意識しながら、それこそ買い物をしたり、歯を磨いたりするようにしている。
脳内に立ち込めるよしなしごとに気を取られていたら、骨盤後傾をキープなんてできやしない。だから勝手に、身体に意識を向けることに、集中している。
そしてこれは即ち、骨盤への意識以外は全て「気になっていない」状態である。これこそが、大概のことをスルーできる方々の、心の有り様なのではないか?
もちろん瞑想を通じて、「気にするという思念すらスルーする」という境地に辿り着く努力も大事だとは思う。だが、感覚を知らないものを、人は目指せないとも思う。
人は一度経験・体験したものは、その後再現できるようになる‥というのは、【熟達論】における為末大氏の指摘だ。それについては僕もマジで同意する。
ということで普段色んな事が気になって仕方ない人ほど、自分が苦手とすることに集中してキープすることで、無の境地は疑似再現できるかも‥ということを提案したい。
今日はそんな記事であった。では今日はこの辺で。