今週は避けて通れないメンタルメガトンパンチな出来事が2つある。
1つは合格発表だ。合否があそこまで厳然と分かれ、重ねてきた努力量とその時点での才能を判断される出来事は、そうそうない。
もちろん受験とはただの途中経過であり、未来に影を落とすもプラスに作用させるもこれからの当人次第だが、そんな能天気なことを吹聴すれば多分殺される。
これは僕らの通知表である。逃げてはならないし、過大解釈してもならない。字面をそのまま受け止め、未来の糧にしなければならないのはこちらも同じなのだ。
そしてもう1つは、完全に僕個人に関するもの。近く次年度の動きを話し合う会議があるのだが、そこの議題は僕の人事異動に関わることになると仄めかされている。
平たく言えば、立場が上がるか、それに備えた一年に特化するか。いよいよ下っ端から卒業させられる見込みだという。なんかこう、正直に言うと・・。
まだ憂鬱が強いなぁ。でも、下っ端の立場で、僕が本当にやりたい施策の全てができるわけじゃないことも承知しているから、色々と相反するものを抱いている。
心にトンデモナイパンチが二発。事前にわかっているから、週末に美味しいお寿司屋さんに行く予定をもう立てといた。あと木曜は祝日で休みだし。
・・・それを拠り所に、今週のルーティン日記、書いていきましょう。
- 2月9日(火) ―どうなりたい?どうなってほしい?―
- 2月10日(水) ―僕でなくてもできること―
- 2月11日(木・祝) ―スキマ時間の限界―
- 2月12日(金) ―白と黒―
- 2月13日(土) ―強制的に未来を見なければならないという幸福―
- 2月14日(日) ―教えてて一番賢くなるのは講師説は多分ガチ―
2月9日(火) ―どうなりたい?どうなってほしい?―
去年くらいから意識して、未来のことに想いを馳せ続けるのを止めている。
仮に考えるとしても、タイマーをセットして、25分以上は絶対に考えない。それくらいシビアに止める。
理由は簡単で、僕の場合、捕らぬ狸の皮算用で青天井な未来を描いちゃうか、訪れてもないネガティブに思いを馳せて勝手に落ち込んでしまうかの2つしかないからだ。
時間をシビアに計って、きちんとそれを言葉に書き出して、「どうやって?」を考える。こうするようにしてから、精神が幾分か健やかになった気がしている。
で、今日。いよいよ人事異動の話が出たのだが、僕の担当校舎(サブとして)が2つになるという話になった。
部下は人事案件に口を挟むべきじゃないと思うので何も言わなかったが、内心すごく何も感じなかったのにびっくりだ。
その時々で結局、これはどうだと試作品を打って、なんでこうなったのかと検証して。その繰り返しをどこだろうとずっと楽しむんだろうなと。
ニュートラルすぎる自分に少し面白さも感じるが、ブレないと言われれば聞こえはいい。どこだろうと、僕は僕。少し不思議な悟りを得られた時間でした。
2月10日(水) ―僕でなくてもできること―
僕が内心思っていることに、『人を変える労力と手間を考えると自分がやった方が速い』というのがある。
例えば全然掃除や細かい書類の手配をしない人がいるとして、その人に『やれよ!』と言って実際にさせるのは徒労だと捉えているのだ。
それよりも、権限をまるっともらって、システムの方をちょろまかし、自分がやって速攻終わらせるという方に持っていくことが多い。
その方が楽なんですよね。でも最近、結果僕じゃなくてもできる仕事を僕が一手に引き受けているという状況が完成してしまった。
正直まだまだバッファはあるのだが、モヤモヤする部分も多い。AIが登場してバリバリっとやってくれないかなって、切実に思う。
機械の台頭を毛嫌いする人は多いが、僕は逆で、めんどくさいこと・したくないことはマシンがやればいいと思っている。
今も車のほとんどはカッコいいロボが作っているではないか。それがもっと身近にみられるようになるだけだ。
早くそうならないかなぁ。そんなことを考えながら、今日も机を高速で拭く僕であった。
2月11日(木・祝) ―スキマ時間の限界―
今日は祝日で休みだが、実は今この記事を職場で書いている。『ブラック!』と言われたら苦笑いだが、まぁ少し言い訳を聞いてください。
学年末テストが間近に迫っているシーズンだからか、ここ最近非常に忙しくなってきている。飯は食えるし寝れてもいるのだが、まとまった時間が取れなくなってきたのだ。
もちろん5~10分程度のスキマ時間は発生するのだが、その中で確実に処理しきれない仕事が、不思議とどんどん積まれていく。
それが重なって少しボヤになりそうだったため、誰にも邪魔されない休日に一人処理していたという話。おかげでだいぶスッキリ。便秘が解消されたかのような気分。
休憩する暇があったら働け!と言われるが、それは単純作業でしか当てはまらない論理だなとよくわかった。
誰も5~10分程度で数学の記述の難問を解けたりはしないだろう。ある程度まとまった時間、それに向き合うことが必要な時もある。現に今、そうだ。
スキマ時間は確かに積み重ねれば大きいが、スキマ時間が全てを解決するとも思わない方が良い。
5分間単語帳を暗記した時間をずっと重ねても、長文を読むってことをしないと成績はあがらんです。この辺は切り離して考えるべきかなと。
そんなことを考えた休日ですた。何しようかな、これから・・・。
2月12日(金) ―白と黒―
今日はとある入試の結果が出た。もとよりあまりにも狭き関門であるため、合格率を追うというより、ひとりでも、ふたりでも・・。という学校だ。
その結果はある種予想していた通りであった。光あれば、闇あり。どれだけ努力を重ねようと、本番一瞬のきらめきで白と黒が分かれる。
もちろん普段から30点しか取れんような奴がいきなり100点を取ることはないが、逆は普通に起こりえるのだ。試験会場に魔物が居るという比喩は、言い得て妙である。
そしてこの結果は、僕もきちんと受け止めなければならない厳然としたものだ。だが、この『受け止める』というものは、実はかなり曲者だと言える。
例えば思い切り落ち込む生徒に対し、寄り添って一緒に泣くとか、自分の過去の行いを延々と後悔し続けるとかってのは、ただの『自己満足』だと考えている。
僕自身も反芻思考が強い超ネガティブ野郎なので、気付けば『自己満足』に突っ込んでいるのだが、そうかもしれないと思った瞬間から『ある自問』を行っている。
”ではそれを学びに変えるため、どんな行動をとるか?”
―いい結果が出た子は嬉しい。だが、厳しいことになってしまった子は、どうすればそれを避けられたのか?こちらにコントロールできないことは無視するにせよ、だ。
そこをウジウジ考えても、マジで誰も幸せになっていないのに注意である。それは未来の生徒をも含む。
だから僕が打つべき手は何か、考えた。合っているかどうかわからないけど、僕は国語の新しい中学受験参考書を買うことと、思考力について学ぶことを今決めている。
落ち込んだって良い。なんて素敵な言葉だろう。だが、延々と甘えるわけにもいかない。僕自身の成長が止まり、未来の生徒を落としてしまう。
胃に穴が空きそうな一日だったが、ストロングゼロのシュワシュワで打ち消して、明日からまた頑張ろうと思う。
だって、それしかできないもの。ねぇ。
2月13日(土) ―強制的に未来を見なければならないという幸福―
今日も小学生の授業があった。昨日の今日だ。色んな気持ちの整理が、早々つくはずはない。晴れやかな顔もあったが、やはり、暗い顔がどうしても気になった。
彼ら彼女らは僕を恨んでいるだろうか?だとしたら、好きなだけ恨んでくれ。それで気が晴れるなら、呪いの1つや2つ、喜んで受け止めてやる。
義侠心というよりヤケクソでそんなことを考えていた。正直、僕も過去の行動の1つ1つにチェックを付けながら、徹底して沈んで悔やんで泣きたいくらいである。
―が、いつぞやも書いたが、僕はそれをやったらダメなのだ。悔しさも喜びも受け止めるため、僕だけは平常心でいなければダメなのだ。
そして僕には、まだ将来のためにせねばならない仕事がある。落ち込むなんてのは非常に贅沢で生産性が無い時間なんだ。未来の生徒を落とす気かよ?
自分に一度発破を掛けたくて、明日も明後日も、少し体力が持つか心配なくらい仕事を詰め込んだ。
とはいえ出たとこ勝負になってクオリティを下げたらいけないので、予習ももう済ませている。
他人はさておき、過去は絶対に変えられない。となれば、僕の力が必要な人たちに、その分お役になれることをするしかない。
強制的に未来を見なければならない環境って、実は幸福なんだ。そんなことを噛みしめている。
2月14日(日) ―教えてて一番賢くなるのは講師説は多分ガチ―
今日は高校生の単発個別を2つ実施した。単元は【仮定法過去】【仮定法過去完了】の辺り。ここで苦戦する人は多いですなぁ。
かくいう僕も、唯一苦手だった単元であり、ミスが出るとしたらこの分野のどちらか、という感じであった。だから予習も結構密にしたし、授業もちょっとタフだった。
ーはずなのだが、この日2回授業を行い、かなりバチバチに仮定法と向き合った結果、何か知らないけど使えるようになったのだ。
それこそ、Instagramに仮定法を使ってちょっとおしゃれな英文をすらすらっと投稿できるようになったくらいに。
『人に教えること』は勉強法として最強だ!ってのはよく言われる話だけど、それって超ガチだってこと、よくわかりやした。
自分が苦手とするテーマ程、伝えるってことは意識した方がよさげだな。
ってことで今週はこの辺で。