精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記269】"START WITH WHY"再読感想ブログ15 ~夢を創る者・叶える者~

僕は率いられたいのか、率いたいのか。幼い頃からいくつものスポーツや団体を経てきたが、実は何らかの長を預かるのは、今の仕事の校舎長が初だったりする。

 

僕自身は別に、誰かをぐいぐい引っ張って道を切り開くフロンティアタイプの人間ではないのだが、だからと言って無条件に付き従うものあまり好きではない。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

リーダーという言葉も元々は「導くもの」という話であることを考えれば、そもそも僕は導くことに不向きだと思っている。あまり興味がないからだ。

 

しかし今は話が変わってきている。他の誰もやらないなら、自分がそうあるしかないのではないか。こんな消極的な理由で色々目指すことになろうとは予想外だった。

 

必要性がある限り、学習は進む。今週もその心意気で、以下読み進めたいと思う。

 

 

2月16日(月) 見た目がどうでもいい唯一のケース。

 

ビル・ゲイツ氏は、僕の想像以上に奥手でギークな人らしい。エネルギーに乏しく、ハリもないとまで書かれていた。

 

だが一度彼がスピーチを始めれば、聴衆はその一言一言全てに神経を集中し、聞き惚れることになる。

 

彼にはエネルギッシュさは無いにせよ、明確な夢と楽観があった。マイクロソフトは、それらの賜物なのだ。

 

だが注意しなければいけないのが、これはなにも人見知りでも大丈夫という話ではないということだ。

 

もっと根っこの話であり、本当に伝えたいこと、自らの想いを言葉にして把握していること、つまりWHYがあるのが先決なのだ。

 

カリスマは「本心」が創るもの。そう思うと色々、救いがある。

 

2月17日(火) "自分が"楽しくプレイできるかどうか。

 

仕事とは偶然の導きでそこに就いている、とされる。僕もこの仕事をしている自分は、過去一度も考えたことがなかった。

 

大体の人がそうでありながら、たまにその中でも抜きん出る人がいるのはなぜか。これには大体2パターンがある。

 

ひとつは、やってみたら天職だったパターン。これはこれで運の要素が強めだが。もうひとつは、ゲーミフィケーションなどによって、楽しく効率的にしているパターンだ。

 

そんな僕は今、後者のゲーミフィケーションにすごく興味が湧いている。早く、高得点で終えるのはゲームの本質。それを追究して遊ぶように働きたく思う。

 

2月18日(水) 神は二物を授けず、の真の意味。

 

「神は二物を授けず」みたいな言葉がある。僕はこれについて、言っていることは解るけど、世の中に反例が溢れ倒している、とも感じていた。

 

卓抜した成績を出した人が、また別の分野でも秀でた結果を出す。そういう光景は枚挙に暇がなく、この世は不公平だよなぁと、嘆息したこともしばしばだ。

 

だがその実際は、やはり「神は二物を授けず」って、正しいのではと思っている。この本の言い回しで訳すなら、「神は信念を2つは授けない」ではないかな、と。

 

例えばビルゲイツはマイクロソフト社を立ち上げ、そこを退いた後は慈善団体を立ち上げたという。だがその根底は、”世界をよりよくしたい”という点にある。

 

芽吹いたものが違っても、出発点が同じである限り、そこにあるのは1つの信念だ。逆に言えば、信念からズレたものが傑物として実ることは極めて稀なのだ。

 

神は二物を授けず。では僕が授けられた「イチ」は何なのだろうか。まだまだ、そこを探す旅は、半分にも到達していないように感じる。

 

2月19日(木) WHYをWHATにするためのHOW。

Why, How, What で考える - makitani.com


今日の章は、改めてのゴールデンサークルの説明だった。WHYから始まり、HOWを経て、WHYの具体的な産物であるWHATに至る

 

上辺だけ真似したものが、どこか空虚に聞こえるのは、WHYが無いからである。ただの模倣では、HOWが限界なのだ、と。

 

ただし、その逆も実はあり得る。WHYだけを自分の胸の内に育み続けたところで、それを広報するHOW、産物たるWHATの設計が甘いと、誰にも知られないまま埋没する

 

堀江貴文氏は著書の中で、「一番怖いのは炎上して叩かれることではない。誰にも注目されないまま無視されることだ」と書いていた。そのことが今、スッと腑に落ちた

 

2月20日(金) HOWに思うこと。

shop.menz-style.com

 

僕が人生で初めて「惚れた」と思ったのは、↑のサイトだ。普通にECサイトの一つかと思ったが、その商品説明、ラインナップ、色んな部分が自分に刺さった。

 

以来、頻繁に利用こそしていないが、社長の言葉という連載を全て読んだり、気になる商品が出ていないかたまにチェックしたり、なぜか追ってしまうところである。

 

‥だが、その”なぜか”の正体は、今回の部分を読んで一端が解った。このサイトは、あちこちに魅力の紹介だけじゃなく、”活用例”が書いてあるのだ。

 

つまり、「こういうコーディネートをすると、こういうシチュエーションにぴったりです!」といった風に、こちらがどうすればいいかの行動が明記されている。

 

そういえば僕が好きなDoDというキャンプグッズのブランドも、その説明ページには実際の使用例に加え、各スタッフなりのアレンジが載っていることもある。

 

その使用例にこそ、僕が魅力を覚えることがしばしばなのだ。自分が推したいサービスについて、”顧客がそうすればいいか”の行動を添えられているか?

 

また一つ重要な問いに至れた気がして、心が素直に躍っている。

 

2月21日(土) ”その人が”変えたのではない。

 

出典がわかりにくいのだが、僕が好きな言葉に、以下のようなものがある。(野村克也監督が好んで用いたそうだが、由来は後藤新平、という話もある)

 

『財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上なり。されど、財なさずんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し。』

 

―確かこれに、さらに上の人として、「夢を遺す」というフレーズもあった気がする。それを見つけることができなかったので説得力に乏しいが、すごく腹落ち感がある。

 

世の中を変えるのは、結局一人の人間の力ではなく、その御旗に集まり、賛同し、実際に行動を起こした何百・何千・何万の結束の力なのだと思う。

 

キング牧師が世界を変えたのではなく、彼が唱えた理念に賛同し、行動を起こし続けた人たちが、世界と歴史を変えたのだ。

 

人が動きたくなるような人になる。斎藤一人氏の定義する「人を動かす」ことはまさにこれだった。そのことに今改めて気づき、その慧眼に感嘆しかない。

 

2月22日(日) 夢を創る者・叶える者。

 

夢を創る者と、それを叶える者は、必ずしも一致しない。この指摘には思わず、自分の身の振り方を考えた。僕はどちらかなのか、自分でも量りかねているからだ。

 

夢を見ることは否定しないが、リアルな部分を考えることも必須だと思っている。楽観的なことを考えた後は、必ず冷静な点に思い巡らせないと、気が済まない。

 

だから迷う。僕はどちらなのだろうか。著者の口ぶりを観ていると、大体は”どちらか”になるものなのだという。

 

どっちも、という可能性も考えたいところだが、そこまで僕は能天気ではない。僕は”どちら”なのか。答えは出ない気がするが、常に考えたい問いだと感じてはいる。

 

では今日はこの辺で。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村